100飼育編
飼育編 

散歩は何のため?
散歩は何のため?


   「散歩は毎日行くのですか?」と尋ねると「散歩は毎日行かなくても良いのですか?」と逆に聞かれます。
またよく、「どれくらい散歩をさせてあげれば良いのでしょうか」と言う質問を受けます。
ものの本には、「毎日、欠かさず散歩に連れて行かなければ」とか、
「この犬種は、朝夕40分位引き運動をさせなければならない。」などと、まことしやかに書かれています。

最も問題となるのは、これを真に受けて初めの数ヵ月か数年の間はそうして、それが続かない場合です。
だれしも犬を飼い始めた当初は、可愛らしさやもの嬉しさもあって、一生懸命に散歩に連れて行くのです。
ところが成長に連れて犬の力は強くなり、散歩がだんだん大変な仕事になってしまうのです。
この頃にはすでに、お子さんやご主人は一抜け二抜けして、犬の散歩は主婦の仕事になっています。
犬の大きさや性格によっては女性の力では手に負えず、次第に誰にも連れて行って貰えなくなるのです。

ここまで来れば、悪循環も終点の間近です。
たまの日曜日、ご主人が散歩に連れ出そうとしたら犬にとっては久し振りの散歩で、
一層興奮してご主人までをも引きずりまわす始末。
いつしか犬は、庭の隅に繋がれたままで一日中吠えている。これこそ典型的な保健所行きの事例です。

そもそも皆さんは、何のために犬の散歩に行くのでしょうか。
排便排尿のため、犬の運動のため、飼い主の健康のため、などなど色々あろうかと思います。
私の意見としては、散歩は飼い主と犬とのコミュニケーションの時間であり、日光浴や、社会馴致、
あるいは気分転換であったりするべきだと考えます。
ほとんどの人は犬の運動のために行かれているのでしょうし、それは一つの大切な目的ですが、
必要運動量をむやみに増やすような育て方には賛成できません。
たしかに運動不足はストレスや体調不良の原因となりますが、きちんとしたしつけもせずに、
犬を疲れさせることを目的として、それによって問題行動を起こさせないようにしようとすると、
より以上の運動を必要とするようになります。
むしろ運動を考えるなら、量より質を考えるべきでしょう。

私がいつも言うのは、何とも無責任な表現ですが、なるべくいい加減にお飼い下さいという事です。 
犬は人間の子供と違って、友達から話を聞いて、それをうらやむという事はありません。
自分の置かれた世界が全ての世界なのです。
散歩に行かない日があるかと思えば、長時間歩く日もあるし、すぐに帰る時もある。
初めから、そういった生活をしていれば、犬もそういうものだと思って育つのです。

もちろん、だからと言って初めから劣悪な環境に置くことを推奨しているのではありませんし、
間違えても運動をさせる必要がないといっているのでもありません。
当り前の話しですが、なるべくきちんと運動をさせてあげるにこしたことはありませんし、
規則的な生活が理想である事に異論を挟むつもりはありません。
しかしもし途中で続かなくなるくらいなら、習慣にさせない方が良いのです。
犬の寿命を15年と考えて、その間それほど規則的な生活を送れる人がどれほどいるというのでしょうか。
また義務感で散歩に行くから、最も肝心な「犬との コミュニケーション」が、図れなくなるのです。
難しく考えないで、飼い主も犬もが、楽しんで行ける時間と距離で良いのです。

腰に古タイヤを付けたスポーツ根性漫画の主人公のように、飼い主を引きずり回しているあの様子は、
どう見ても鍛練であって、散歩ではないように思えるのは私だけでしょうか。
もちろん犬にとって散歩は最高の楽しみの一つですが、逆に見れば、食事と散歩しか楽しみが無いようなら、
飼い方そのもの、つまり犬と飼い主の関係に問題があると言えます。




日本人の犬の散歩の光景といえば、まず犬との綱引きです。
そして、すれ違う人や犬に吠えかかり、ところかまわず排泄する。
飼い主は、といえば、単なる「動く杭」といった感じです。
なかには、犬に引っ張らせなければ犬の運動にならないと信じ込んでいる人さえもいます。
犬が怖い人にすれば、大きな犬が飼い主を引きずりながら近づいてくれば、不安でたまりませんし、
実際問題、犬の危険な行動を制止できない飼い主では、犬を放して散歩しているのと何ら変わらないのです。
無責任な犬好きの人が、多くの犬嫌いな人を作り上げている事に、飼い主は気が付かなければいけません。

皆様は、護身犬や橇犬を育てているのではないと思います。
人間社会でみんなに愛される犬にするには、歩く番犬・歩く闘犬であってはならないのです。
大切なのは、幼犬期の社会馴致です。生後2~3ケ月の頃に、よい人・よい犬にたくさん会わせる事です。
こうする事により、犬や人に対して不要な警戒心を持たなくなります。
また自動車や工事の騒音など、街中の様々なものにも自然に慣らしておくと良いのです。

散歩中に行き交う人やすれ違う犬に、むやみに吠えかかる犬もいます。
案外、飼い主は平気な顔をしているのですが、犬が見知らぬ人に吠えるのは当然と思っているのでしょうか。
犬が見知らぬ人に吠えかかるのは、自分の家の中でのみ許される事なのです。
道行く人に喧嘩を売って歩く事など、人間で言えばさしずめ、チンピラか、愚連隊が、俗な言葉で言えば
「ガンつけて歩いている」のと同じです。非常に無礼、且つ、恥ずかしいことだと認識して下さい。

犬を放して散歩をさせる人の多い事にも驚かされます。
呼ばれたらすぐに来るという基本すら教えていない飼い主に限って、この傾向が強いのは情けない限りです。
そうした人に限って、うちの犬はおとなしいからとか、何もしないから大丈夫だというのです。
法律を持ちだして、犬を放す事は一切まかりなりませんといいだすつもりはありません。
しかし犬を放す事には、もっと慎重でなければなりません。それ以前に呼ばれたら直ちに来る様に
しっかりと教えておかなければなりませんし、十二分に時と場所を選ばなければいけません。
プロが相当に訓練した犬であっても、爆音を響かせて来るバイクや、風で突然に倒れてきた自転車に怯えて
逃げ出したり、散歩中の発情期の雌犬を追ったり、急に逃げ出す子供を追いかけて転倒させてしまったり、
猫や転がってきたボールを追いかけて、車道に飛び出してしまったりという事があるのです。

犬を放すという行為には、犬がいなくなってしまったり、交通事故にあう、
また飼い主の知らない間に 危険なものを食べてしまったり等といった、自分の犬に不幸な結果を招くことのみならず、
咬傷事件を含めた不慮の事故の加害者となったり、他の犬と喧嘩したりすることもあります。
また、犬が勝手に遊び回っている間の排泄物の処理の問題や、不純異性交友?といった問題もあります。

大型犬を散歩中の飼い主が、放している小型犬に寄って来られて、必死に自分の犬の紐を引き寄せている光景も
よく見受けます。大きな犬を飼う人は、そうした状況でも問題がおきない様にしつけておくべきでありますが、
小型犬の飼い主も、いくら自分の犬が危害を与える事は無くても、いざ噛まれた途端に被害者面をする前に、
普段からむやみには放さない、といった程度の良識は持ちたいものです。

次に、排泄物の始末の問題ですが、基本的に、散歩を排便・排尿の機会としない事です。
愛犬雑誌の読者欄に、「スコップも持たずに犬の散歩をしている人さえいる」という投書がありましたが、
私などは、万一の粗相に備えてティッシュとビニール袋をポケットに持つだけですから、
第三者目にはそう思われているのかも知れません。
しかし私にすれば、犬の散歩は、あくまでも散歩で、排泄のためのものではないのです。
私達だって、出かける時には、前もってトイレを済ませます。そしてそれ以外にも次の様な理由があります。

○ トイレ場所を選ぶ犬に人間がついて歩くことにより、犬が行動の主導権を持つようになる
○ 早くトイレに行きたい一心で、散歩中に出かけるとき、いっそう引っ張るようになる
○ 雄犬は、マーキングによって自我が強くなると共に、縄張りが広がる事により防衛意識が強まる
○ 排尿の始末をする人はいない (毎日、沢山の犬に、家の前でされる側にしてみればたまらない)
○ 便の状態がいつもいいとは限らない (舗装された路面において、きれいに取る事は難しい)
○ 伝染病・寄生虫の媒介源となる                       
○ 商店街・繁華街をつれて歩けない                       
○ 始末をする姿や持ち歩く様は、恰好いいものではない (もちろん、そのまま立ち去る、途中で捨てる等は論外です)
○ 大雨が降ろうが、飼い主が熱を出しても怪我をした時でも、散歩に行かなければいけなくなる


 
【参考記事】公園で、一般利用者に嫌われる愛犬家の行為  
 ○ 砂場、芝生でオシッコをさせる
 ○ ベンチの上に、犬を乗せること
 ○ 水道の蛇口から直接水を飲ませる
 ○ 公園の片隅での、ブラッシング
 ○ 通路際や、樹木につないでいる  


 





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