220行動の選択



224善悪の認識
善悪の認識
  何もしない子供は、いいこといけないことを学ぶ機会を得にくくなります。
子供のうちは、何でもしてみることが大切です。
その結果、周囲に受け入れられなかったことを悪として認識するようになるのです。
大人は、子供のしたことが悪いことだから叱るのです。
子供は、いいことか悪いことかなどは知らないからするのです。
そして叱られることで、それが悪いことであると知るのです。
子供は、何でもしてみることが大切だから、それを認めなさい、それを許しなさい、というのは大間違いです。
自己と外界とは、鏡像関係にあり、この関係を正常に機能させるのが、教育の基本的役割です。
だからこそ教育には、環境が重要なのです。
善は、基本的には自己と外界との関わり、関係に依存した体系です。
その意味で、善というのは、普遍的真理ではありません。

子犬は、生まれながらに人間の伴侶として良好な社会的な動物として生まれてきているわけではありません。
成長していく過程で社会的な能力を身につけていくのです。
子犬のうちに善悪の判断になる価値観を養うことが必要です。

人間同様に、犬にも当然に自己があります。ゆえに成長の過程は、自己のあり方に拘束されます。
自己は主体的存在であると同時に、間接的認識対象です。
ゆえに、外部への自己の主体的働きかけによって起こる外部の反応を、自己の内部に還元することによって、
個々の善は構築されるのです。

子犬は、成長につれて次第に自己主張を始めるようになります。
この時期こそが最も要となりますが、この時期までに、子犬に善の価値観を育んでおかなければならないのです。
教育において最も重要なことは、善悪の価値基準をいかにして養うのかにあります。

犬の知能は三歳児程度といわれます。
三歳児程度であるならば、目先のいいこと、自分にとってのいいことを選択するに決まっています。
将来ためになるとか、他人の不利益になってしまうなどを思いもしません。
そしてそれらは、人間においてさえも、歳月とともに身に付くのでもありません。
家庭や学校や社会から教えられて身に付けていくのです。





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