250しつけとは何か
しつけとは何か

251日本人のしつけ
日本人のしつけ
 
何故、日本人は犬のしつけができないのでしょうか。
犬の飼われ方を見れば、その国の文化レベルがわかるといわれます。
欧米で生活された方が、一様に驚かれる事の一つに、犬のしつけの違いがあります。
どの犬も大変良くしつけられていて、おとなしいことに驚かされます。
街中の雑踏にあっても、ホテルやパブ、あるいは、電車やバスの中で、もちろん、家庭の中においても、
訪問したお宅で、食事を頂いて、さて帰ろうかという頃になって初めて、部屋の中に大きな犬がいる事に
気がついた等という話はざらなのです。

犬が、社会の一員として、ひろく認知されているのです。
もちろんその全てが日本に比べて優っているとは言いません。
例えば、フランスの、有名なシャンゼリーゼ通りなどは、犬の糞だらけだ、という話は良く耳にします。
(と言っても、国民性や、考え方の違いを考えれば、一概に善し悪しを言うことは難しいのかも知れません。)

また欧米では、犬の問題行動の矯正に関して、実に多くの優れた研究がなされています。これは何を意味するか
というと、欧米において、その問題に対する研究の必要性が非常に高いということでもありましょう。
しかし、犬のレベルや飼い主の意識のレベルなど全体的に見れば、そうした各国に比べて、
日本は、犬文化の後進国といわざるを得ないでしょう。

最近になってようやく、犬を「人間の友」として、また「家族の一人」として考える方が増えてきた事は、
大変に、喜ばしい事ですが、まだ一般的とは言えません。                            
私自身も、便宜上、及び、訳あって、この書の中でも「飼い主」あるいは、「犬を飼う」といった形で、
「飼う」という表現を用いていますが、本来「飼い主」ではなく「家族」、「犬を飼う」ではなく「犬と暮らす」
といった感覚を持つべきであると思います。

家族の一員である以上、ペットのようにただ可愛がるだけではなく、きちんとしたしつけをしていただいて、
いずれは、犬が社会に広く認知される事を願います。しかし残念な事に、そうした気持ちを持ちながらも、
なかなか犬との良い関係を築けないという方がほとんどではないでしょうか。

何故、日本人は犬のしつけができないのでしょうか。
背景から言うならば、第一に農耕民族である事でしょう。
良い犬を持つ事が自分達の生活に直結する狩猟民族と違って、
農耕民族にとっては、犬は単に番犬としての性能しか要求されないのです。
第二に、生活様式が、畳生活である事などが挙げられるでしょう。
そうした事から日本人には、犬は外で繋いで飼うものという観念がありました。
外で繋いで飼っている分には、犬がいう事をきかなくてもさほど困りはしません。
まして、昔の日本では、朝夕、紐を放してやると、犬は適当に近所を遊んで、排便排尿を済ませて帰ってくる
というのが一般的でした。ですから、日本犬のように帰家本能の強い犬が、頭の良い犬と思われていたものです。

そうした飼い主の側の認識が変わらないままに、今やペットブームとやらで、
犬が、ペットとして多く飼われるようになりました。
「ペット = 愛玩」という語から考えれば、この事こそが、最大の問題点だと思います。
犬という動物は、人間と心の交流を行なえる素晴しい動物なのです。

それなのに、「愛玩」という「一方通行の愛情」で接してしまうから、犬に精神的なストレスを生みだすのです。
人類の伴侶としての犬の功績を無視し、まるで窓際族の様に、何の仕事も与えずに、
ただ、餌を与えて運動をさせて、単に生かしているだけの扱いであるなら、また単に姿形、あるいは仕草を見て
一方的に可愛がるだけだとしたなら、あまりにも犬を見下した扱いであり、寂しい事ではないでしょうか。

犬に訓練をすることを、犬にかわいそうなことのように思う人もいますが、実際には、ほめたり叱ったりしながら
犬に何かを教えることで、犬との関係作りそのものが出来ていくのです。
やや哲学的な表現になりますが、「存在」とは、必要とされて初めて存在するのです。
人は誰かに必要とされている事が、生き甲斐になります。犬でも同じです。
家庭で自分が必要とされている事を感じられない事は、愛情を感じられない事と同じに不幸なことです。
どんなに優秀な才能をもった人間でも、それを発揮できる環境や、指導者に恵まれなければその能力は、
持ち腐れとなりますし、その才能を本人が自覚している場合には、そのことは大きなストレスとなります。
犬においても、こうした失業状態に起因する様々な問題行動が言われています。

昨今の「ペットブーム」とやら、ペット=愛玩という語意からも、犬を人間の愛情を注ぐだけの対象に
してしまった事が、現在の多くの問題点をうみだしている様な気がしてなりません。
姿形の美しさや、仕草や行動の愛らしさといった外見だけでしか評価できない人が、
自分では、犬を愛しているつもりでいる事が、そもそもの元凶なのです。

裕福になった私達の暮らしのなかでも、同じことがいえるのかもしれません。
親は、子供を自分の生き甲斐にするほどに愛しているのに、子供には、その親の愛情が伝わらない。
なぜかといえば、子供に親の手伝いをさせないから、自分が家庭で役に立っている、
親に必要とされているという事を感じる事ができないのです。

このことは、大人だって充分にわかるはずです。もし会社に行っても、自分のやるべき仕事が無かったら、
また、与えられた仕事が、毎日、会社で誰も使わない鉛筆を削ることだったとしたらどうでしょうか。

 


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