250しつけとは何か
しつけとは何か


256自主的に行動
自主的に行動
  「自ら考えて」「自分で判断して」 「自主的に」「自ら喜んで」「自発的に」
・・・・・実に聞こえの良い言葉です。 いかにも、相手を信頼している感じが伝わってきます。
でも本当にそうなのでしょうか。
たとえば障碍飛越の訓練をします。
服従訓練であれば、人間の「トベ」という号令に従って跳び越えることを教えます。
しかし犬に自主的にフェンスを跳び越えることを教えるのであれば、
この犬が勝手にフェンス跳び越えて出て行ってしまう心配はないものなのでしょうか。
跳び越えてよいフェンスといけないフェンス、跳び越えて良い時と悪い時の判断を犬に委ねることは、
犬の自主性を尊重しているというよりも、飼い主の責任を放棄しているようにしか私には思えません。

身体障がい者の手助けをする介助犬という犬がいます。主な仕事は落としたものを拾って渡すことです。
この訓練において、犬には、必ずユーザー(介助犬使用者)の指示で拾うことを教えます。
使用中のカッターなどの刃物や、落ちて割れてしまったコップ、あるいは飲もうとした人間用の薬などの
危険なものもありますし、SDカードのように犬の唾液を付けたくないものもあるからです。
どれほど賢くても、こうした判断は、犬には出来ません。

どれほど有能で信頼できる犬であろうとも、人間社会における是非の判断を任せて良いはずがないのです。
自主的ということは、行動を起こすか否かの決定権を、すなわちリーダーシップを犬が持つということなのです。
さらには、そうした犬の自主性を伸ばすトレーニング方法を勧めながら、かたや、飼い主のリーダーシップが
必要です、と言っている人もいます。
つまりは、自発的するようにという発想そのものが、自分は黒幕として操るような意識から生まれるのでしょう。
本人相手には「好きにしていいよ」と言いつつ裏で糸を引くような、なんとも卑劣な気がしてならないのです。
自分が悪者に思われようとも、「やれ」と言うことが、なぜできないのでしょうか。


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