270強制と誘導
強制と誘導

271強制と誘導
強制と誘導
 
強制という言葉をきくと非常に抵抗を感じる人が多い事と思います。
しかし、強制と誘導とは明確な線引きのできないものなのです。
賞と罰が、実は同じものであるように、強制と誘導も同一線上のものと言えます。
  

A さんと、Bさんが、手をつないだ状態で、①地点から、②地点まで移動しました。
・ 二人の人物像      : 制服のお巡りさんであった・白杖を持っていた
・ 二人の位置関係     : 前後、横並び
・ 手をつなぐに至った経緯 :

違いは、同意の有無にあります。ところが、この同意の有無の判定は非常に困難です。
同意があっても、錯誤や強要による場合には、人間社会においては無効とされます。
背中を押すことも手を引くことも、強制にも誘導にもなるのですから、 強制と誘導とは、明確な線引きのできないものであります。 賞と罰が、実は同じものであるように、強制と誘導も同一線上のものと言えます。




272強制することについて
強制することについて
  強制することをいけない事だと非難する人がたくさんいます。
しかし、もしもあなたの散歩中に、愛犬のリードが張っている状態があるのであれば、それは物理的な力によって、犬の行こうとする行動を制御しているのですから、犬を無理強いしているのです。
つまり、多くの方が否定する、「力による支配」が行なわれているのです。

制御に強い力を要すれば、あるいは人の側が意図的に紐を引けば、飼い主にもその自覚も生じるのですが、小型犬ですと飼い主はほとんど力を入れていないので、無理強いしているという意識さえないだけなのです。
強制を本気でいけないというのであれば、リードもフェンスも含めた一切の拘束を解かなければなりません。

なぜ、無理強いするのでしょうか。
犬の要求と、あなたの要求が一致していないからです。たとえば、散歩で引っ張ることも同じです。
犬の行きたい方向や速度と、あなたの行きたい方向や速度とが、全く同じであれば引っ張ることはなくなります。
両者の望むものが違うのであれば、あなたが犬に合わせるのか、犬があなたに合わせるのかのどちらかを、
まず決めなければなりません。おおげさな表現をすれば、この対立をどう解決するのかということです。
あなたが犬に合わせることを選んだ方は、これから先をお読みいただく必要はありません。
これを読むより、犬並みの運動能力を身に付けるためのトレーニングに励んでください。

私たちにしても、何かを修得するとなれば、その間ずっと楽しいことだらけということは、まずありません。
辛い思いや、苦しい思い、時には泣きたくなったり投げ出したくなったりするのではないでしょうか。
多くの人は、強制されることによって、ある時期はそれこそ仕方なしに乗り越えてきたのだと思います。

行動を変えようとするのではなく、意志を変えればいいのです。
行動だけを教えても、心が伴わなければ、その行動はやがて劣化していきます。
さらには、ストレスとなったり反動を生んだりもします。

服従訓練の「服従」という言葉に抵抗を感じる方も多い事と思います。
「無理強い」といったひびきや、この言葉が連想させる「軍隊的」なものがあるからでしょう。
そうした方は、まず、「共同生活訓練」と、言葉を置き換えてみて下さい。
共同生活ですから、最も大切な事は、相手をお互いに理解する事です。
ここで皆さんがきちんとしなければいけない事は、犬を良く知る事と同時に、
自らが、犬から見て理解しやすい相手になる事です。
これについてはいずれ述べますが、簡単なようでなかなか難しい事なのです。

ここでは、「無理強い」について考えてみましょう。
最近よく耳にする言葉に、マインド・コントロールという語があります。オウム教事件のような、極端な例は別にしても、それ自体は、国家、会社を問わず、広く一般社会において行われているのです。
ある人にとっては、ごく当り前の事が、別の人から見れば全く考えられない事であるといった「常識の違い」は、
その人の置かれた環境の違いに因って生じます。
比較の対象を持たない限りは、自分の置かれた環境が、当り前になるのです。
つまり、その効果を最大にするには、外部情報を遮断する事にあります。
犬の訓練を考える時、この事は非常に重大です。
なぜなら人間が意図的に情報の遮断を行なうまでもなく、犬は外部情報を仕入れるという事はしないからです。
犬は、本で読んだりテレビで見たり、友達の話しを聞いて羨ましがったりなどはしません。
自分の置かれている世界が、その犬の知る全ての世界なのです。

だからといって、劣悪な環境で育てて良いと言っているのではありません。
すなわち、育てる環境や、飼い主との関わり、そうした毎日の生活の全てが、その犬の思考や感情を
コントロールするのだという、飼い主の責任の大きさをむしろ言いたいのです。

「人との共同生活を送る上で必要なルールを守る事」が、
犬にとって、「無理強いされる苦痛」であるか、 「ごく自然な当り前の事」であるかは、
『犬に、何を好きにさせるか』という、飼い主の行なうマインド・コントロール次第なのです。

私達においても、従順に規則を遵守する者もいれば、規則は破る為にあるといってはばからない人もいます。
また、同じ規則のもとに暮らしていても、その規則を、己の行動を制約する煩わしいものと感じる人もいれば、
そんなことは、規則で決めなくても当たり前だと思う人もいます。
同じに守らなければならないルールであるならば、強制されて嫌々それに従う犬に育てるのと、
当然の事と受け止めて進んでそれを守る犬に育てるのとで、どちらが愛情のある飼い主だと考えますか?

そもそも、犬の自らの意思というのは、ほとんどにおいて、本能ではなく、授乳期、離乳期といった、
本人にすれば、まだ何もわからない時期、及びその後のいわゆるもの心がつくかつかないかといった時期に受ける環境によって形成されるのです。 そしてその後の環境を作り出すのは、犬を家庭に迎えいれたあなたなのです。 「考えてみるまでもなく、当然にそうすべきことだと思っていた。」相手に、そう思わせるまでに教え込むこと
こそがしつけだと思います。 そのためには、もの心がつく前の時期こそが最も大切なのです。

の時期は、親の愛情を受けるためであれば、善悪などかまわず親の全てを受け入れるのです。
極端な話、借金に追われ、転々としていようが、親が、大泥棒だろうが、殺人者であろうが、子どもにとっては、
無条件に、うちのお父さんが、うちのお母さんが、世界一なのです。
この時期、子どもは、依存心100%、自立心0%なのです。成長につれ、この比率は次第に逆転していきます。
環境が、犬をつくります。その環境をつくるのは、飼い主です。

犬を育てる上で、「犬に何を好きにさせるか」が、もっとも大切なのです。
例えば、服従訓練の代表のように言われる脚側行進という科目についても、「飼い主の傍についていれば、
安心だし、楽しい。」犬にそう思わせるように育ててあげれば、なにも無理強いではないのです。
あなたを大好きであれば、一緒に歩く事はとても嬉しい事であり、あなたに頼りがいを感じていれば、
黙っていてもあなたに合わせてついてくるのです。

ところが、ちっとも犬と遊んでもあげないで、飼い主の傍にいる事そのものを嫌がるように育てておいてから、
訓練の科目として教えるから、無理強いする羽目になるのです。
散歩といえば、あちこちに行きたがる犬を、紐で縛りつけて引き回すような、まるで看守が捕虜を運動のために
連れ出しているような、そんな、犬と飼い主との関係しか築いていないから、訓練が、捕虜にさせる強制労働の
ようにしか感じられなくなってしまうのです。

つまり、愛犬を育てる上で最も大切な、「犬との良い関係を築くこと」をおざなりにしているから、
訓練が、 無理強いをする結果になるのです。
犬の持つ本能や習性を充分理解した上で、いかに『いい意味での、マインド・コントロールをして行くか』が、
大切なのです。

もっとわかりやすい例で言えば、櫛をかけるなどの手入れがあります。
犬の手入れは、お洒落のためにするのではありません。
犬の健康維持のためには不可欠なことなのに、案外、怠っている人が多いのです。
街中で、「かわいそうに。散歩に行く時間があるのなら、少しは毛を抜いてあげればいいのに」と思う様な犬を
連れている飼い主すら多く見かけます。
その飼い主に言わせれば、きっと「犬は、散歩は喜んで行きたがるが、手入れは嫌がってやらせたがらないから、
かわいそう」と言うのでしょう。
子犬時代、犬の毛がもつれるまで放っておいて、やおら、櫛をかけて痛い思いをさせ、
犬に、「手入れは嫌なものだ」と思わせてしまうと、手入れの度に犬に無理強いをする結果になります。

ところが、上手に扱ってあげれば、犬は本来なら心地よい毛繕いである手入れを喜ぶようになるはずなのです。
同じ、櫛をかけるという行為をとって見ても、犬にそれを好きにさせるか、嫌いにさせるかの違いで、
快い楽しみにもなれば、無理強いする羽目にもなってしまうのです。

事柄によっての他に、同じ事柄でも、相手によって、受ける感情は大きく異なります。
私たちにしても、 大好きな人に言われた用事は、苦でもなく喜んでするけれども、嫌いな上司に言われた用事は、
嫌々する、 そんなことはありませんか?
同じ用事をするのにも、無理強いと感じることもあるし、そうでないこともあるのです。
また、好きな人になでられるのと、嫌いな人になでられるのでは、その反応は、全く違うはずです。



273なぜ、しないのか
なぜ、しないのか
  なぜしないのか、なぜできないのか 。
さて、これは犬の話でしょうか、それとも飼い主であるあなたの話でしょうか?
・・・・・
しない理由やできない理由を知ることで、させることができるようになりますので、ちょっと考えてみましょう。


「いくら教えても、一向にしません。」と、おっしゃる方がいます。
何故しないのかを考えてみましょう。
まず知っておいていただきたいのですが、「 する ⇔ しない」と、「できる ⇔ できない」とは違います。



なぜしないのか
・要求がわからない  [無知]          ←弁別を教える
・できない      [不能] [能力欠如]    ←行動を教える
・うまくできない   [失敗][未熟][能力不足]  ←注意する・練習する
・しようとしない   [怠惰]          ←叱る・罰する            
           [不安]          ←自信を持たせる
・したくない     [拒否]          ←動機づけをする・強制する


なぜできないのか
なぜ多くの人がそれをできないのでしょうか。
・いけないことだと思い込んでいる
・可哀そうだと思う
・怪我をさせてしまう
・信頼関係を壊す
そんな思い込みに過ぎないのです。


274なぜ、やめないのか
なぜ、やめないのか
  同じように、「いくら叱っても、一向にやめません。」と、おっしゃる方がいます。
最も多いケースは、飼い主は叱っているつもりでも、犬にとっては不快ではないという場合です。
犬がいけないことをする理由を、きちんと分けて考えれば、何でもかんでもただ叱ればいいのではないことが
お分かりいただけると思います。
まず分けるのは、犬が「いけないこと」「叱られる」と認識しているのか、いないのかについてです。
[弁別]  今は大丈夫      
罰が下される状況と、罰が下されない状況との弁別条件づけを、飼い主が無意識のうちに教え込んでしまっている場合がほとんどです。
犬が大きくなってから罰を使って教えるとこのような失敗に至ることが多くなります。

[挑戦]  まだ大丈夫  
挑戦というより試しといった方が何となくニュアンスが近いように思います。
子供でも同じですが、どこまで許されるのかを常に探ってきます。
そして許される最大域までその行動を広げます。
既得権意識や加速がついてから止めさせることは、犬にとっても人にとっても大変です。   

[反抗]  守る必要が無い  
そもそも飼い主の指示に従う気がない場合です。
その事柄をとらえて罰しても悪化させることの方が多いでしょう。
基本に立ち返っての関係作りから行なう方が良いでしょう。

[不堪]  がまんできない  
我慢癖を身につけさせるには、少しずつが鉄則です。
失敗させて叱るのではなく、失敗しない範囲で徐々に向上させます。


 275なぜ、させないのか
なぜ、させないのか
  させることは相手の意志に反した強制であり、いけないことだと、そう思い込んでいる人も多いようです。
なぜ、させないのでしょうか? 正しいのかどうかと、やりきることへの自信がないからでしょう。
相手の意志に反してさせるには、それなりの知識や技能が必要です。
さらには、させるからには、させた側にはそれなりの責任が生じます。
訴訟社会となった現代、犬のしつけに限らず何事にも、 責任回避のための優しさが多く見られます。

させることを、なぜにそれほどにためらうのか、遠慮するのかわかりません。
させることは、いけないことなのでしょうか。

「させるのではなく、相手が自らするように」「相手の自主性を重んじる」などと言えば聞こえは良いですが、
単に、心のどこかに責任を負いたくない気持ちからなのではないのでしょうか。
たしかに、させる以上は、させた側にも何がしかの責任が及ぶのかも知れません。
でも犬に対しては、そんな心配は不要です。
なぜなら、犬が勝手にしようが、飼い主がさせようが、もともと全責任は飼い主が負うべきなのですから。

話が横道に逸れますが、最近よく耳にする、「させていただく」という言葉も、
本人は謙虚なつもりで使っているのでしょうが、私のようなへそ曲りには非常に不愉快な言い回しです。
言われるたびに「あなたに依頼した覚えもないし、私が許可したわけでもない」と思ってしまいます。
なぜ、素直に「します」と言えないのでしょうか。

そもそもは、相手に遂行能力があると思うから、すなわち相手の能力を認めるからこそさせるのです。
私の感覚から言えば、させることのできない人は、優しいのではなく、要は相手の能力を低く評価しているのか、
相手を信じていないのだとも言えるでしょう。

犬は人間の能力に従うと言いましたが、どのような能力をいうのでしょうか。
それは実行力です。まず本気になって犬に向き合うこと。そして、あなたの本気を伝える努力が必要です。
多くの人は、失敗した時の自分の体面を保つために、本気になって取り組まないのです。
「感情で怒ってはいけません」と、私も言います。理性的なことは良いことです。
でも、本気になって相手に取り組めば、感情的にもなるのが人間です。
なぜ多くの飼い主は、犬をきちんとしつけることができないのでしょうか?
それは、いくつもの思い違いをしているからにほかなりません。

・犬にとって本当にかわいそうなことは何なのか    
・管理することをかわいそうと思うな    
・叱ることは絶対に必要
・伸びる時期に伸ばせ、子犬の能力   

人間ほど独り立ちに長期間を要する動物はいません。
子犬の発達は多くの人が思っているよりもずっと早いものです。
「させる」ことこそがすべてです。
させているうちに出来るようになり、出来るようになればやるようになるのです。

「させる」という言葉に、皆様がどの程度の強制的な印象を持つかはわかりません。
しかし、させないという事は、しなくてもよいという経験を積み重ねていくことである事を忘れてはなりません。 これは、あなた自身の指導力を失うのみならず、相手に既得権益を与え、後に不満の種になります。

犬に何かをさせたい、あるいは、させたくないと思うのであれば、そして、犬にあなたのいう事をきくように
なってもらいたいと思うのであれば、あなたは犬に三つのことを教えなければなりません。
それは、「わかる(伝達)」「できる(能力)」「しよう(意思)」の三つです。

①あなたのいう事が何であるのか、即ちあなたの要求が何であるのかを「わかる」ことが必要です。
②次に、あなたの要求に応じた動作を行なう事が「できる」必要があります。
③そして、あなたの要求に応えて「しよう」と思う気持ちが必要です。

ひとくちに「犬の訓練」といっても、この三つのどれを教えるのかによって「訓練方法」は違ってきます。
何かをさせるには、どういった方法があるでしょう。

させたい動作が、どのような動作であるのかを伝えなければなりません。
つまり、こちらの要求を相手に伝えることが必要です。人間同士であるならば言葉での指示が一般的です。
「わかっているのにしない」と表現する人が多くいます。 実際に犬がわかっているのにしない場合もありますが、
家人が「犬はわかっている」と思っているだけで、実際には犬はわかっていないがためにしない場合もあります。
まず家人が「犬はわかっている」と思った根拠を、きちんと検証してみる必要があります。

する気がないorしたくない : 意志の問題
その要求に対し、相手が応じる場合と応じない場合とがあります。
こちらがさせたいことと、相手のしたいことが一致していれば、すんなりと応じることでしょう。
それでは、応じない場合の理由は何でしょうか。

できない : 能力の問題
できない理由にも「方法がわからない場合」と「遂行能力が不足または欠如している場合」があります。
方法がわからないがゆえにできない場合には、それこそやってみせて、させてみて、といった指導が普通です。
遂行能力そのものが備わっていても、その他の理由で、できない場合もあります。
体調、あるいは、緊張や恐怖など周囲の状況に左右されることも多くあります。

指示をしても犬がしない場合に、多くの飼い主は、さらに言います。相手がするまで言い続けます。
すなわち、相手の自由な時間を、口うるさく干渉される時間に変えるのです。
これはまさに、相手を無意味にイラつかせる方法であるか、または、指示の重要度を0に近づける方法です。
なぜなら別の角度から見れば、言われてからするまでの時間というのは、指示に従わないことを容認されている時間であり、指示に従わないことを容認されている経験であるのです。
すなわち、指示に従わないことが、犬にとっての既得権益と化してしまうのです。

私たちが人に何かを教える際には、まず説明し、それからやって見せて、させてみてといった手順が一般的です。ただしこれは、相手に学ぼうという意志があることが前提です。
学ぼうという意思のない者は、説明をしても聞かないし、やって見せても見ていないという結果になります。
つまり学ぶ意思の有る者に教える方法は、学ぶ意思の無い者に教える際に、そのままでは当てはまらないのです。

ちゃんとさせる、静かにさせる、じっとさせる、 即時にさせることができれば
有無を言わせぬ強引さや、断固たる拒否

「させる」にはどういった方法があるでしょうか。
一般的には、次の二つが用いられます。
・しないことへの罰   結果に対して与える罰
・罰を呈示しての強制  いわゆる見せ鞭  

強制することができない人や好きでない人は、相手がするように仕向けることで、させる場合もあるでしょう。
ルアー方式 : 馬の鼻先に人参をぶら下げて走らせるのも一つです。
        (しかし、いくら走っても、永久に届かないことに気が付けばしなくなってしまいます。)

行動心理学においては「何かをするように」教えるのが強化であり、「何かをしないように」教えるのが罰です。いや正確には、何かをする「頻度が増える」ように教えるのが強化で、「頻度が減る」ように教えるのが罰です。
何が違うのかといえば、頻度が増えるだけで確実にするようになるわけではありませんし、
頻度が減るだけでしなくなるわけではないという事です。
つまり、どうでもいい時には、よくいう事をきくけれど、肝心な時には、全然いう事をきかないということです。

私にしてみれば、それでは困るのではないかと思うのですが、愛犬家心理というのは面白いもので、
「今日は何々だから」「ここは何々だから」「あれは何々だから」といった具合に、
犬がしない理由を上手に見つけて犬の行動を正当化してあげますので、大した問題ではないようです。
 



 276できるとする
できるとする
 
犬は訓練することにより、多くのことをできるようになります。
ところが勘違いをされている方が多いのですが、訓練の科目をいくら教えて、犬がそれを覚えたからといって、
犬が、飼い主のいう事をきくようになる訳ではありません。

「できる」という事と「する」という事は、全く別次元の問題です。
「できる」というのは能力の問題であり、
「する」というのは意志の問題なのです。

「する」ためには、どういった事が必要かを考えてみましょう。 

まず、相手のいっている言葉がわからなければなりません。              
あなたにしても、コピーをとるような簡単な用事であっても、相手からドイツ語やスペイン語で言われたのでは、
何をすればいいのかさえもわからないのですから、する事はできません。

次に、できない事は、しようにも、しようがない、という事です。           
コピー一つにしても、コピー機の操作方法を知らなければ、それを教わらない限り、する事はできないのです。

もう一つは、全く逆。
相手のいう事をきく気にならない場合です。           
相手が何を要求しているかもわかるし、その事柄をする能力があっても、言われた相手によって、
またはその時の気分によってはいうことをきかないという場合です。

つまり、人間の号令の意図する事を理解させ、コピー機の取り扱いを教えるのが、いわば訓練です。
その後、あなたの指示に従って、コピーをしてくれるかどうかは、あなたと相手の関係の問題なのです。

一般に、訓練士が行なう訓練というのは、先の二つを教える事でしかないのです。
三つ目の点に関しては、訓練士に教わりながら、自ら、「犬との良い関係」を作る必要があります。

人間であっても同様のことは言えるでしょう。
会社で上司にコピーを頼まれれば、ほとんどの人がすることでしょう。
部下の立場からいえば、尊敬する大好きな上司の指示であれば、喜んでコピーをとるのです。
しかしながら、たとえ上司といえども、無能な上司や、嫌いな上司に指示されれば、
「その書類のコピーをとるのは私の仕事ではありません。」と言い出す部下もいるでしょう。
そこで一つ殴れば、しぶしぶ従う部下もいるでしょうし、逆に殴った事をとらえて、大問題に発展させてしまう
部下もいるでしょう。

また自分の部下に言われてどれだけの人がするでしょうか。機嫌のいいとき一度や二度はするかもしれませんが。
好きな人や、厳しい人のいう事はきくけれど、嫌いな人や、自分より下位の人のいう事はきかない。
「すれば、何かいい事があるなら」とか、「しないでいても、結局はやらされるのがわかっている」、
「しないと何か罰せられる」という場合は、案外いう事をきくのです。

犬の訓練、しつけを考える時に、最も大切なことは「あなたと犬との関係」にあるのです。
いかにいい関係を築くか、否かが、全てを決めるといってよいでしょう。
犬を芸人に例えれば、飼い主は、そのマネージャーでなければなりません。
ところが、多くの飼い主は、付き人にしか過ぎないのです。芸人が、付き人のいう事をきくと思いますか?

犬に対して、リーダーシップをとる事のできるタイプの人が、さほど支配欲の強くない犬を飼った場合、
特に訓練等しなくても、良くいう事をきく犬になるのが普通です。
しかしその逆に、犬に対してリーダーシップをとる事のできない人が、支配性の強い犬を飼った場合には、
訓練所に預けて、いくら訓練を施したところで、犬は飼い主のいう事を、ほとんどきかないのが普通です。
それどころか、飼い主と犬との上下関係を変えないままに、「訓練ができているのだから」などという、
安直な発想で、急に高圧的に命令をしようものなら、自分より下位の人間に命令をされた犬にすれば、
逆に唸って、飼い主を脅す様になることさえもあるのです。


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