530一次性の罰
一次性の罰

  懲 罰 暴 力

531叩くことは、暴力なのか
叩くことは、暴力なのか
  身体罰の種類とその特性
種類の選定     打撃  : 部位 手法    
          リード : ジャーク・チョーク




はじめに、もっとも一般的な打撃系の体罰ともいえる「叩く」という行為について考えてみましょう。
一口に叩くと言っても、殴る、ひっぱたく、ぶつという言葉によって、それぞれに想像するものが違うでしょう。 子育てでも、犬のしつけでも、決まって「叩いてはいけません」と言われます。
非常に安易に、かつ無責任に「いけない」と表現されますが、「頑張ってね」と背中をポンと手で叩く行為も、
立派に叩く行為です。決して叩いてはいけません、と言う人は、まさかこれさえもいけないと言うのでしょうか。馬鹿げた話のようですが、これでも相手が訴え出れば、当然に診断書を書いてくれる医師は存在しますし、
そうなれば暴行罪どころか、傷害罪が成り立ちます。

「決して叩いてはいけません」などという無責任なきれいごとが、叩かれた側の過剰な被害者意識に利用されて、騒ぎ立てられる原因にもなっているのです。「叩くこと」を安直に一括りにして語ったり、あまりにも些細なことにまで 目くじらを立てて騒ぎたてたりすることは、好ましいことではないと思います。

叱ることの是非を議論しているうちに気が付いたことですが、「文句を言ったり、怒鳴り散らしたり、 殴りつけたりすること」を「叱る」ことだと思い込んでいる人が多くいるようです。
確かに叱る手法として、文句を言ったり怒鳴ったりつけたり、殴ったりすることもありますが、 教育的指導でないものは一切、叱るという行為ではありません。それはただの憂さ晴らしや、八つ当たり暴行に過ぎないのです。

体罰を推奨するつもりはありませんし、一部の犬訓練士においては、虐待まがいの体罰が存在することも 承知しています。 体罰は虐待につながりやすいからいけないと言われますが、そのように、いけないと禁止してしまうからつながるのだとも言えます。それを明確にすれば、虐待まがいの体罰を排除することができるようになるのです。

体罰さえも、その定義が不明なままに、暴行や虐待と同一視されてしまっています。
体罰というと暴力的行為を連想しがちですが、体罰とは、「指導的立場の者が管理責任の下にあると考えられる
相手に対し教育的な名目において肉体的な苦痛を伴う罰を加えること」をいいます。
身体的嫌悪をもたらすものは全て体罰と言えます。 廊下に立たせること、正座をさせることも体罰の一形態です。逆に、同じに殴るという行為も、教育的指導によるもの以外は体罰ではなく、単なる暴行です。
虐待も、体罰などではなく純粋な暴力行為です。

体罰がいけないとするのであれば、体罰はあらゆる体罰がいけないのか、体罰以外の精神的な罰ならばいいのか、体罰ではなく身体的罰を与えることはいいのかといった疑問が生じます。
暴力としても、体罰としても、もっとも一般的ともいえる「叩く」という行為を例にして考えてみましょう。
叩くことが全てにおいていけないのか、それとも目的次第なのかということです。
叩くことのうち教育目的の場合だけが体罰ですが、それ以外の場合の「叩く」という行為を考えてみましょう。
叩く事は、一般には暴力行為と捉えられますが、叩く行為が見られる一般的場面には次のようなものがあります。


叩く行為が見られる一般的場面
喧嘩 
 両者の意識としては対等の関係で行われるのが普通です。
 多くは、主張や利益の対立により行われます。
 また、子供同士の殴りあいは感情の発露として現れる場合もあります。

暴行 = 虐待・いじめ 
 一般に、力の強い者から弱いものに向けて行われる一方的なものです。
 「あの野郎、気に食わないから痛い目にあわせてやろう」というのは、
 自分の鬱憤晴らしのためのものであり、相手に嫌な思いをさせることが目的です。
 相手の取った行動と罰との因果関係の理解は不要です。

懲罰 = 叱責・懲らしめ・お仕置き
 罪を犯したことに対し嫌な目にあわせることにより、
 後悔や反省をさせ今後繰り返させないことを目的とするもので、罪との因果関係の理解は不可欠です。

強制 = 無理強い・脅し
 「しないなら嫌な目に合わせるよ」と言って与える、脅しの罰です。
 強制労働に代表されるような、拒否あるいは中断や休止を罰するものです。
 より不快を与えることにより、それを避けるために、自分の望む行動をとらせる(負の強化)ことが目的です。

制御・制止・抵抗
 「やめろ!!」といって叩くのは、相手の行動を制止させることが目的です。
 間合いなどによって、中間型の罰になることもあります。
 警察官が暴れている凶悪犯を取り押さえる時などに行われます。
 必要最小限においては認められることが普通です。

競技 
 格闘技は最古のスポーツです。ボクシングや相撲の張り手などが代表でしょう。

それぞれの場面は、状況や目的も、虐待・攻撃(喧嘩)・激昂(感情の発露)注意の喚起・叱咤
鼓舞(興奮を煽る)・激励・慰め・叱る・怒る・強制・懲罰・鎮静など、実にさまざまです。
その是非については、簡単に一言で「いけません」と言えるようなものでは、ないのではないでしょうか。

強制:「おら~金出せよ!!ボコッ、ボコッ。」
抵抗:「やめてくれ~、放せよ!!ボコッ、ボコッ。」
制止:「お前ら、何やってるんだ!!ボコッ、ボコッ。」
抑止:「もう二度とやるんじゃないぞ!!ボコッ、ボコッ。」

また、叩く=暴力なのかという疑問もわいてきます。
何で叩くかもいろいろです。 素手でも、手のひらとげんこつでは違いますし、道具を使って叩くこともあります。バットや角材、あるいは下敷きや物差しといった身近な物品を流用することもあれば、 鞭のように、わざわざ叩くために作られた道具もあります。

また同じに叩くといっても、相手との関係や叩く前後の状況、あるいは叩く部位によって、
叩くことの是非のみならず、その効果も異なります。
叩くことが相手の反省を促すこともあれば、反抗を生むこともあります。
動こうとする相手の顔の前から叩くのと、お尻を後ろから叩くのとでは、もたらす結果が違うことは歴然です。

押すのは良くて、叩くのはいけないのか?という疑問も生じてきます。
嫌がる相手の背中を押して、奥の部屋に押し込んだとします。 多くの人は暴力を使っていないと思うはずです。
では背中を押す時間が、ほんの瞬間だとどうでしょう。 背中を叩いたと思う方が多くいるのではないでしょうか。「さっさとやりなさい」という言葉も、小さな声でゆっくり言えば諭していて、大きな声で速く言えば怒っているととられることが多いようです。

問題は、殴ること自体がいけないのか、懲罰や強制することがいけないのかの、どちらなのかということです。



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