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罰 

582罰について
罰について
 

罰の議論においても、罰を正確に定義にしないままに、個々人の概念に基づいて話が進められるがゆえに、多くの誤解や混乱を招いています。
叱ることについて、ある人は非常に手間のかかる方法、効率の悪い方法、効果がないからだから駄目だと言い、ある人は、即効性があるが、効き目があるので頼ってしまうようになるからダメだと言う。
きちんと学ぶ機会もなく、自己流の解釈ばかりが蔓延しているがゆえに、バラバラの結論に達してしまうのです。

また「罰を与えること」と「叱ること」を、「体罰」と「暴力」を、またあるいは、「叩く」と「体罰を与える」とを、同じことのように考えている人も多くいます。
体罰はいけないという主張の人にその理由を質してみると、「体罰がいけないのではなく、叱ることがいけない」のであったり、「体罰がいけないのではなく、罰が全ていけない」という論法であったり、「叱ることがいけないのではなく、支配することがいけない」という意見であったりすることも多いのです。
ある人は「罰全般」を、ある人は「心理学用語の罰」を、またある人は「体罰」を念頭に話をしているのです。

一般には罰とは、「罪(規範に反した行為)に対して与えられる、当人に不利益、または不快になることがら」
を言います。
しかし、心理学用語の罰は、「行動が減少すること(弱化すること)」を言います。
そして、いわゆる罰のことは、嫌子あるいは罰子と言います。
本来なら「弱化」とすべきものに、心理学者が「罰」という語を用いたことが、犬のしつけや訓練を勉強する人にわかりにくさをもたらすとともに、多くの誤解や曲解を生みだしています。
どういうことかと言えば、「罰では何もするようにはなりません。このことは科学的に証明されています。」
などという表現が、正当に成り立ってしまうのです。
「する頻度が減ること」を罰と定義するのですから当然のことです。

行動心理学などの本を読むと、罰がいかに無駄で弊害だらけのものであるかが記されています。
なぜなら行動学は、「なにかをする=行動」の学問だからです。
しかし人間の性(さが)に目をつむり、現実を踏まえぬ理論を振りかざしたところで、実際の役には立ちません。清濁併せ持っているのが人間なのです。
良い面ばかりに目を向けて、いくら理論的に解説しようとも現実には対応できません。
そしてさらには、心理学においては、行動自体の良い悪い、を区別しませんので、良い行動が減ることだけではなく、悪い行動が減ることも「罰」とされるのです。
ここでは、こうした誤解を避けるために心理学用語の罰を除外して述べていきます。

罰の是非が論じられるときに、争点になるものは、「ほめて教えるのか、叱って教えるのか」「体罰とは何か」
「体罰は是か非か」「支配の是非」などです。 混同の原因となるキーワードは、「罰」・「体罰」・「暴力」・
「叩く」「虐待」・「叱る」・「怒る」・「強制」・「管理」・「支配」・「恐怖」などです。

ここではまず、それらをきちんと分けてから話を進めたいと思います。


罰には、次の二つがあります。
 教え手により与えられる罰 : 飼い主が与える罰
 環境により受ける罰    : 他者や環境により生じる罰

教え手により与えられる罰には、次の二つがあります。
 意図的な罰  : 指導を目的に意図的に与える罰
 無意識な罰  : 日常で無意識に与えてしまっている罰

意図的な罰には、次の二つがあります。
 正の罰  : 積極的な罰=嫌なことを与える
 負の罰  : 消極的な罰=いいことを取り去る

積極的な罰には、次の二つがあります。
 精神的罰   : 感情に作用する罰 と 社会性に作用する罰
 身体的罰   : 打撃系 と 拘束系


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