別頁で述べますが、犬を預けて訓練に出した場合には、犬の訓練が終わってから、飼い主自身も訓練士に 教わって練習する必要があります。しかし、この場合に教わるのは犬の扱い方、すなわちハンドリングです。 ハンドリングは、犬との関係性に大きな影響をもちますので、非常に重要です。
しつけ教室では、トレーナーは飼い主に犬へのトレーニングの方法とハンドリングのしかたを教えます。 すなわち、飼い主はトレーナーに教わった方法に従って、自分で犬をトレーニングするのです。
ちょっと話を変えて馬の話をします。これまで馬に一度も乗ったことの無い人でも、乗馬クラブに通って、 インストラクターから、 歩き始める時の合図の送り方や、止まる時の手綱の引き方、右や左に回る方法など、 少し教われば、すぐに乗馬を楽しむことが出来るようになります。ここであなたが習うものはハンドリングです。 人間が手綱を右に引いたら右に曲がることを、あなたが馬に教え込むわけではありません。
すでに人を乗せることを調教(トレーニング)されている馬であれば、ハンドリングを教わって練習することで、
乗馬ができるようになりますが、もしも全く調教のなされていない馬であれば、まず不可能なことです。 しかし、いくら調教してある馬であっても、逆にあなたが馬の扱い方を全く習わなければ、それこそ馬を歩かせることさえも難しいでしょう。
盲導犬などの補助犬も同じです。犬がまず、トレーナーから補助犬としての訓練を受けた後に、ユーザーは、 トレーナーから犬とのコミュニケーションの取り方や、指示の与え方などを教わり、それを練習することで、 補助犬はユーザーの身体の一部のようになっていくのです。
もちろん犬の場合でしたら、訓練していない犬であっても、ハンドリングの上手な人が扱えばある程度の言うことをききますし、訓練してある犬であっても、ハンドリングのできない人が扱えば言うことをききません。
気性的に教え込むことの難しい犬の場合や、飼い主の体力に比べて犬の体力が極端に上回るような場合、 自分で訓練する時間を作れない人などでしたなら、犬へのトレーニングは訓練士に依頼し、その後にハンドリングを教わるという方式も有益です。
まずハンドリング(扱い)とトレーニング(訓練)の混同に伴う誤解を解消するために、私なりの定義付けを しておきましょう。 (犬界では、展覧会での審査で犬を扱うことをハンドリングと呼びますが、これとは全く別の定義です。)
相手の能力を将来に向けて向上させるのが、トレーニングです。トレーニングで上達するのは犬です。 相手の現有する能力を最大限に発揮させるのが、ハンドリングです。 ハンドリングで上達するのは人です。 競走馬でいえば、調教師がトレーナーで、騎手がハンドラーです。 野球でいえば、コーチが行なうのがトレーニングで、監督の行なうのがハンドリングです。
仮に能力が35の人がいたとしましょう。この人が常に35の能力を呈示する訳ではありません。 状況や気分その他によって、だいたい20~50といった幅でその能力を発揮するのが普通です。 むらっけの強い人ですとその幅は15~55かもしれません。 この人に50の能力を必要とする仕事をさせたい時に、状況作りや気分のコントロールをして 50の能力を発揮させることがハンドリングです。 それに対して、教えたり練習をさせて能力そのものを15アップさせることにより 50の能力を発揮させることがトレーニングです。 能力を50まで伸ばしても、実際に呈示する能力は35~65といった幅を持ちますので、 若干のハンドリングも必要になります。 しかしトレーニングにより能力を80程度まで高めれば、ほとんどハンドリング能力を必要とせずに 50の能力を発揮させられることになります。
どちらも犬と人間が一緒に行ないますが、トレーニングは犬の練習であり、ハンドリングは人間の練習です。 訓練士が訓練した犬が、家に帰ってきて家族のいう事をきかない原因の一つに、飼い主がハンドリングの方法を きちんと教わっていない場合があります。
また、訓練士は通常ハンドリング能力を備えているので、トレーニングが中途の段階で出来上がりと判断してしまう場合もあります。
すなわち、訓練の訓える段階を終えただけで、練る段階を行なっていないこともあります。 これには訓練士の手抜きまたは未熟が挙げられます。
道具について述べるのであれば、チェーンカラーは教えるための道具、すなわちトレーニングのための道具であり、
ジェントルリーダーなどのマズルカラーは扱うための道具、すなわちハンドリングのための道具であります。
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