これより先、あちこち不定で工事中です。お見苦しいところも多くありますがご了承ください。
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こころを育てる
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愛犬の幸せのために
あなたと愛犬とは、心がつながっていますか?
昨今の愛犬家の多くは「犬の喜びが飼い主の喜び」であるようですが、
同時に「飼い主の喜びが犬の喜び」でなければ、本当の意味での良い関係とは言えません。
たしかに多くの犬が散歩が大好きでしょうし、他の犬と遊ぶことが好きでしょう。オヤツをもらえば喜ぶでしょう。
しかし毎日の生活を共にする飼い主との心のつながりが築けなければ、家族ではなくただの同居人(犬)です。
犬の喜ぶことを与える前に、「何を喜ぶように育てることが、犬にとって幸せなのか」を考えてみてください。
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育てたように育つ
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犬は 育てたいようには育ちません。育てたように育つのです。
良い犬に育てるための第一歩は、あなたが良い飼い主になることです。 あなたとあなたの愛犬を見て犬好きな人が増える、そんな飼い方をしなければ、真の愛犬家とは言えません。 |
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犬に求めるもの
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人はなぜ、これほどまでに犬に癒されるのでしょう。 それは、犬が無償の愛をもたらしてくれるからではないでしょうか。
それなのになぜ、犬との信頼作りにおやつでの取引を持ちこむのでしょうか.。
あなたが愛犬に求めていたものは、心のつながりだったのではないのですか。
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犬の優れた能力
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例えばイヌの特筆すべき能力の一つに、「他種であるヒトとともに協調行動をとることができる能力」があります。
使役動物として作業能力と共に従順性を求められてきたからこそ、人類の最良の伴侶としての今日の犬があるのです。
犬ならではのこのような能力をしっかりと伸ばして育てることが、犬の真価をさらに高め、現代の人間社会における
人と犬との、より一層の共存につながるのではないでしょうか。
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身に付けさせておきたいこと
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私が子犬を育てる時に、まず最初に教えることは「人間の手は、神の手である」ということです。
もちろん人間の手は優しいものであることを教えるのですが、それだけではありません。 人間の手には、「目に見えない、従わざるを得ない力を秘めたものである」ことを教えるのです。
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内面を育てる
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しつけは教育であって、芸を教えるいわゆる調教ではありません。
見た目の形だけで、「スワレ」という号令で犬が座り、「フセ」という号令で犬が伏せればそれでよし、
というのであれば、それは単に芸を教え込んだに過ぎません。
九官鳥のキュウちゃんがオハヨウと挨拶したり、お猿の次郎君が反省してみせたりするのと同じことです。
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頭と心と体
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これから犬の訓練を学んでいくにあたって、ちょっと気に留めておいてください。
私たち自身も、頭で覚えていること、身体で覚えていること、心で覚えていることそれぞれがあります。
知識であれば頭で、泳ぎや自転車などは身体で、感情に関わることは心で、といった具合でしょうか。
犬にいろいろなことを教えていくにも、教える事柄によって働きかける先が違ってきます。
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感情を育む
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知性の動物、理性の動物といわれる人間でさえも、その行動の多くは感情によって支配されています。
そして人と犬とで大きく共通するもの、それは感情です。
子犬を飼い始めたばかりの方にとって、犬の心をどのように育てていくのかは非常に重要です。
育むべきは、他者の感情を認知する能力と自己の感情の制御です。 |
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社会性とは何でしょう
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犬は社会性のある動物だと言われますが、さて社会性とは次のことを言います。
・集団を作って生活しようとする根本的性質
・他者との関係など社会生活を重視する性格、および社会生活を営む素質や能力
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社会性を養う
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犬は野生動物ではありませんので、当然に犬の生きる社会は飼い主によって限定されます。
人間でも同じですが、犬が社会性を養うのに適した時期というのは非常に限られています。
根幹は離乳の時期までに作られますので、繁殖環境や他者との関わりが非常に重大な要素となります。
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社会化とは何でしょう
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本当の意味で社会化とは、その社会の新規参入者が、その社会の文化、特に価値と規範を身に付けることであり、
これは学習により後天的に獲得されます。 もうお気づきかもしれませんが、社会化とはまさにしつけのことなのです。
規範意識、従属性、受容力、服従性、自己抑制力、感受性といった能力を養うことが根底です。 |
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社会化トレーニング
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社会化の意味を、「社会馴致」や「社交性」と勘違いしたり混同したりして、さまざまな環境に慣らすことや、
他の人や犬と仲良くなること、とした捉え方が多く見られます。
最近流行の、犬の社会化を謳った「パピーパーティー」を見るにつけ大いに疑問を感じます。
間違えてならないのは、子犬がこれから先、所属し生きていく社会とは、人間社会であるということです。 |
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社会馴致訓練
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環境馴致訓練とも言いますが、これから先15年のあなたの生活スタイルを見据えて、
何に慣らしておくことが必要なのかも考えましょう。
とくに怖がりの犬には極めて早期にしっかりと行なっておくことが重要です。
この馴致訓練もやみくもに刺激に晒せばよいのではなく、飼い主との関係性によって成果がまったく違うものです。
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理想郷に生きるのではありません
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人も犬も、理想郷に生きるのではありません。いくら家庭や学校が理想教育をしても、
実社会が理想郷でなければ、結局は、社会に出られない子を育てあげてしまうことになります。
愛犬の生涯に対して、自身がしてあげられることをきちんと認識した上で、
人間の社会、現実の環境に、適応できるように育ててあげるべきでしょう。
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行動の選択
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行動を司るもの
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体で動くもの、心で動くもの、頭で動くもの
本能行動、情動行動、学習行動 |
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行動の判断基準
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犬は何を元に、その行動を行なうかどうかを決めるのでしょうか?
好きか嫌いかで判断することもあれば、損か得かを考えることもあるでしょう。 |
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善と悪
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善悪は、外部への自己の主体的働きかけにより起こる外部の反応を、 自己の内部に還元することで構築されます。
すなわち、自らが行なった行動が、自らの身を置く環境に受け入れられたか否かによって形成されていくのです。
善悪の判断をする際の基準を育むには、いけないという事を無意識化させることが重要なのであり、 ゆるぎない善悪の認識を身に付けるのは、理由などわからないうちの「怒られた」と感じる経験なのです。 |
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善悪の認識
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子犬は、生まれながらに人間の伴侶として良好な社会的な動物として生まれてきているわけではありません。 成長していく過程で社会的な能力を身につけていくのです。 子犬のうちに善悪の判断になる価値観を養うことが必要です。 |
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善悪の判断基準
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犬の場合、善悪の判断になる価値観は、その先天的な要素の上に、親犬や繁殖環境を通じてその基礎を習得し、
さらに飼い主となる家庭において身に付けていきます。 愛犬にとって、何が正しくて何が間違っているのかを決めるのは、犬と飼い主を取り囲む社会環境です。 子犬は、自身の行動が、周囲の社会に受け入れられるのか否かによって、善悪の認識を培っていくのです。
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犬はどのように学ぶのか
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犬は、誰かが何かを教えなくても、自らの経験を通して多くのことを学びます。 しかし、そのように犬が自ら学ぶ多くのことの中には、人間に好都合なことも不都合なこともあります。 そこで、人間に都合のよいことを学ばせようというのが、しつけや訓練です。 |
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学習とは何か
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学習とは、規則性の発見にほかなりません。
それには、規則の一貫性と結果に対する興味が重要です。
規則の一貫性とは、犬がある行動をとったときに、必ず同じ結果を招く事を言います。
その結果が犬にとって好きな事であれば、犬はその行動を繰り返し行うようになるし、
反対に嫌な事であれば、次第にその行動をおこさなくなります。 |
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教えるということ
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一口に教えると言っても、理解させること、覚えさせること、それを習慣化させることなど、
そのいずれもが、それぞれに質の違う教えるということです。
それらの区別をしないままに、「教え方」を論じても意味がありません。 |
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ほめるの?叱るの?
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「ほめること」と「叱ること」は、役割そのものがまったく正反対に異なります。 「ほめること」は何かをするように、「叱ること」は何かをしないようにというのが役割です。
自転車に例えれば、ほめることはペダル、叱ることはブレーキに相当します。 |
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ほめて教える?叱って教える?
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褒めて教えるのがいいのか、叱って教えるのがいいのかということであれば、話は簡単です。 教える事柄が「何かをするように」ならば褒める、「何かをしないように」ならば叱ればいいのです。 しかしまずは方法を選ぶより前に、何を教えるべきなのかをしっかり定めなければなりません。 人の教育でも、能力を伸ばすことを目的とする学業指導やスポーツ指導と、他者との協調を目的とする 生活指導とでは、その選択の是非を同一に語ることはできません。 |
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褒めない・叱らない
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自分の感情を感じてくれる相手であれば、ほめたり叱ったりは必ずしも必要ではありません。
褒める必要なんてありません、あなたが喜ぶだけでいいのです。 叱る必要なんてありません、あなたが嫌がったり、悲しんだりすればいいのです。
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ヨシとイケナイ
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しつけをする上で最も大切な事は、犬に「よい事」と「いけない事」とを、いかに伝えるかという事なのです。 そのために一番に教えなければいけない事が、「ヨシ」と「イケナイ」です。
極端な話、犬がこれさえ理解してくれたら、それぞれの科目など、いとも容易に教えることができるのです。 |
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足す方法・引く方法
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人物の顔の像を作る場合には、「彫塑」と「彫刻」という二つの方法があります。 彫塑というのは、始めに針金で軸を作り、それに少しずつ粘土をつけていく方法で、 彫刻というのは、木などの大きな塊を、少しずつ削って作り上げていく方法です。 |
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犬にとっては
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犬の訓練においても、犬の立場に立って考えることは非常に大切なことです。 私たちは無意識のうちに、人間を、あるいは自分を基準に考えがちですが、 犬と人とでは、本能も習性も、思考も感性もが異なるのです。 犬が理解しやすい、受け入れやすい方法を考えてみたいと思います。 |
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直接指導と間接操作
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強制や誘導により犬に教えたい行動を行なわせ、その行動の結果として人が賞罰を与える方法 [ 直接指導 ] と、 犬が行なう自発的な行動の結果として環境で発生する賞罰を、人が操作する方法[ 間接操作 ] とがあります。 ただしここで重要なことは、対面指導はここで述べたような意図的なものだけではなく、 教え手の無意識な対応が、いわば環境で発生する賞罰として犬に与えられてしまっていることです。 |
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教えると扱う
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トレーニングとハンドリング
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しつけ教室の話の中で、ハンドリング(扱い)とトレーニング(訓練)が混同されていることがままあります。
たとえば乗馬クラブで私たちが教わるものはハンドリングであってトレーニングではありません。
犬が飼い主の言うことをきちんときくように教えていく上で、ハンドリングとトレーニングは、共に重要です。
その区別も含めて、正しく理解しておきましょう。 |
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しつけとは何か
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訓練としつけが、時に同じ意味で、時に違った意味で用いられることがあります。 「訓練までは必要ないけど、しつけ程度は、」という声をよく聞きます。 訓練は高度なもので、しつけは初歩的なことだと思っている方も多いようです。 しつけの本質をきちんと理解すれば、しつけの方法も見えてきます。 |
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日本人のしつけ
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何故、日本人は犬のしつけができないのでしょうか。
犬の飼われ方を見れば、その国の文化レベルがわかるといわれます。
欧米で生活された方が、一様に驚かれる事の一つに、犬のしつけの違いがあります。
どの犬も大変良くしつけられていて、おとなしいことに驚かされます。 |
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しつけと訓練の違い
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訓練としつけが、時に同じ意味で、時に違った意味で用いられることがあります。
「訓練までは必要ないけど、しつけ程度は、」という声をよく聞きます。
訓練は高度なもので、しつけは初歩的なことだと思っている方も多いようです。
しつけの本質をきちんと理解すれば、しつけの方法も見えてきます。 犬は、人間とは全く別の動物であり、本能も習性も大きく異なります。 |
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しつけは何のため
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犬が暮らす社会は人間社会であり、そこには人間が人間のために定めた、自然に反する多くのルールがあります。 何も教えなければ、犬は人間社会のルールを知ることもできないままに、人間に疎んじられることになります。 しかしきちんと教えてあげさえすれば、犬には、優れた適応力と順応性があり、高い学習能力がありますので、 本当に素晴らしい伴侶として、共に幸せに暮らすことができるのです。 |
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なるべく自由に
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人間中心に作られた社会においては、犬がどれほど忠実で賢くとも犬を全くの自由にさせての共存は考えられません。犬にとっては当然な行動も、制御すべき場合があります。
もしもこれを、かわいそう、人間のエゴである、あるいは、動物愛護に反すると考えるのであれば、
そもそも犬を飼うということ自体を再考されるべきでしょう。 |
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犬が自ら進んで
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「自ら進んでやるように」という指導は、指導を受けた時点で自主的ではないのですから論理が破綻しています。
まずは、「自主的にやりなさい」「自発的にさせる」という言葉に 内包される矛盾に気が付くとともに、
「行動を操作する」=「支配」であることをまず認識すべきです。 |
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自主的に行動
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「自ら考えて」「自分で判断して」 「自主的に」「自ら喜んで」「自発的に」
・・・・・実に聞こえの良い言葉です。
いかにも、相手を信頼している感じが伝わってきます。
でも本当にそうなのでしょうか。 |
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個性を認めてあげましょう
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「その子に合った訓練方法 で」「個性に応じて」いかにも相手を思いやったこの一言で、
トレーニングの成果を犬のせいにすることができます。
良くなるもならないも、全ては犬の個性、犬次第なのです。
そもそも個性を排除した最右翼的な思想こそが科学的トレーニング法なのですが、
どういう訳か科学的トレーニングを 推奨する人の方が、個性に応じたトレーニングを唱える人が多いのです。
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しつけの方法
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しつけの方法について
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基本無くして応用無し。
型があっての型破り、定石あっての定石崩しなのです。
まずは基本を正しく学ぶことこそが王道だと考えます。
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何が正しいのでしょうか?
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犬のしつけ方について、「正しい方法」「間違った方法」と言われます。
また 同じ方法が、一方では正しい方法とされているかと思えば、一方では間違った方法だとされています。
そもそもが、 しつけとは何かという「しつけの定義」と、 何をもって正しいとするのかという「正誤の判定基準」の二点を明確にしなければなりません。 |
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楽で簡単がいいのか
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誰しもが、楽で簡単な方がよいでしょう。
但しそれには、「同じものなのであれば」という大前提があります。
一見、同じように見えるものでも、本質は大違いというものもあります。
イミテーションが悪いとは言いませんが、あくまでもイミテーションであることを知らなければなりません。 |
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犬に優しいトレーニング方法
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おやつで教える方法が、犬に優しいトレーニング方法だそうです。 人間の飼育管理下において、自分で食料を採取できない状況の犬に、食料の配給権を完全支配する人間が、 その食料の配給と引き換えに犬の行動を操作することの、はたしてどこが優しいのか疑問です。 おやつを与えるトレーニング手法は、犬のみならず、フードメーカーにも、ショップにも、トレーナーにも、 みんなにとって、 じつに美味しいトレーニング方法なのです。 |
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アイコンタクトが基本です
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「オヤツを持った手を自分の顔の前に・・・・・・・・・」 それは、あなたを見ているのではなく、あなたの方を見ているのです。 あなたの能力を犬が認めれば、犬はあなたをきちんと見るようになります。それがアイコンタクトです。 そんな本質も分からずに、オヤツで自分の方を見させようとする発想こそが、犬をバカにしています。 |
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強制と誘導
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強制と誘導
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強制という言葉をきくと非常に抵抗を感じる人が多い事と思います。
しかし、強制と誘導とは明確な線引きのできないものなのです。
賞と罰が、実は同じものであるように、強制と誘導も同一線上のものと言えます。 |
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強制することについて
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強制することをいけない事だと非難する人がたくさんいます。
しかし、もしもあなたの散歩中に愛犬のリードが張っている状態があるのであれば、
それは物理的な力によって犬の行こうとする行動を制御しているのですから、犬を無理強いしているのです。
つまり多くの方が否定する、「力による支配」が行なわれているのです。 |
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なぜ、しないのか
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「いくら教えても、一向にしません。」と、おっしゃる方がいます。
何故しないのかを考えてみましょう。
まず知っておいていただきたいのですが、「 する ⇔ しない」と、「できる ⇔ できない」とは違います。 |
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なぜ、やめないのか
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同じように、「いくら叱っても、一向にやめません。」と、おっしゃる方がいます。
最も多いケースは、飼い主は叱っているつもりでも犬にとっては不快ではないという場合です。
犬がいけないことをする理由をきちんと分けて考えれば、何でもかんでもただ叱ればいいのではないことが
お分かりいただけると思います。
まず分けるのは、犬が「いけないこと」「叱られる」と認識しているのか、いないのかについてです。 |
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なぜ、させないのか
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させることは相手の意志に反した強制であり、いけないことだと、そう思い込んでいる人も多いようです。
なぜ、させないのでしょうか? 正しいのかどうかと、やりきることへの自信がないからでしょう。
相手の意志に反してさせるには、それなりの知識や技能が必要です。
さらには、させるからには、させた側にはそれなりの責任が生じます。
訴訟社会となった現代、犬のしつけに限らず何事にも、 責任回避のための優しさが多く見られます。 |
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できるとする
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「できる」という事と「する」という事は、全く別次元の問題です。 「できる」というのは能力の問題であり、 「する」というのは意志の問題なのです。 |
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支配と関係
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人と犬との関係
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「オヤツを持った手を自分の顔の前に・・・・・・・・・」
それは、あなたを見ているのではなく、あなたの方を見ているのです。 あなたの能力を犬が認めれば、犬はあなたをきちんと見るようになります。それがアイコンタクトです。
そんな本質も分からずにオヤツで自分の方を見させようとする発想こそが、犬をバカにしています。 |
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信頼関係について
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そもそもが信頼関係とはどのような関係であるのか、何をもって信頼関係が出来ていると言えるのか、
それを明確にしなければ、議論にさえなりません。
馴れている、なついているということと、信頼関係ができているということとは全く別次元のことです。
ちょっと叩いた程度で壊れるのであれば、それは壊れたのではなく信頼関係ができていなかったのです。 |
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支配とは何でしょう
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「人と犬とは対等でなければなりません。」
「押し付けるのではなく、あなたがしてもらいたい行動を、犬が自ら望んで行なうように教えていきます。」
まさに平等主義者による心優しい、理想的な指導方法であるかのように思えます。
しかし現実には、 |
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支配関係の判定
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そもそもが支配と言うと、とかく支配者による一方的な関係と思われがちです。
利益あるいは行動が対立した時に闘争によって決着をつけ、その後もその決着に基づき行動が固定されたとき、
地位を獲得したとみなされます。すなわち勝者は支配的地位を得たとされるのです。
いわゆるアルファーですが、ここで問題となるのは支配は支配者によってなされたのかどうかです。 |
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対立を解決する方法
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自由な社会において、私の自由は、時にあなたの自由を奪います。 自由を行使する際に、他者と生じた対立をどのように解決するのかということです。 支配・服従・上下関係・主従関係、そんな言葉は何でもいいです。 単純に、両者の主張が異なった時、あるいは利害が対立した時にどうするのかということです。 |
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飼うこと自体が支配です
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飼い犬なのですから、当然に人間は犬を支配しているのです。
もしも支配していないのであれば、それは飼い犬ではなく、
あなたの家に入りこんできている野良犬または、野犬ということです。 普段は家の中に閉じ込め、外出の時は綱でつないで、脱走したり、自分で餌をとれない状態に犬を管理した上で、 食糧の配給の権限の一切を握っている者が、犬と対等であるべきだ、支配してはいけないと言っているのです。 |
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上下関係はいけないの?
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平等主義というのでしょうか、上下関係という言葉や、支配、命令、服従といった言葉を嫌う人もいます。 私は内心、よほど親や先生、あるいは先輩や上司に恵まれてこなかったのだろうと、同情してしまいます。 悪しき平等があるのと同様に、良き上下関係もあるのです。 動物は本来は臆病なものであり、本来の生態と異なる人間社会に迎える以上は、 犬の身の安全と精神面の安定のためにも、人がきちんと、犬の上に立ってあげることが責務でしょう。 |
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現在では否定されたリーダー論
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「犬社会は階級性であり、犬は飼い主と権勢を争う」という、いわゆるドミナンス理論に関しては、 数年前に否定されています。しかしこれは、ボスの座争い=地位という物質的には存在しない概念を巡って、 犬同士が争うことが否定されたにすぎません。このアメリカ獣医行動学会の研究発表を、 犬と対等の関係を理想とする人権(犬権)派の一部の人は拡大解釈し、あたかもリーダーシップ論や、 主従関係を築くことが否定されたかのごとくに述べています。 |
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リーダーシップっていけないの?
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飼い主がリーダーシップを取るのがいけないのであれば、犬の意志にあなたが合わせて従うのですか?
それとも話し合って決めるのですか?
それともお互いに譲歩しあって、中間点を探って妥結するのでしょうか?
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飼い主という名の付き人
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多分に眉唾の部分があるにしても、まだ飼い主に忠誠を尽くしたという「ハチ公」の話は、美談でありましょう。
ところが多くの方は、その逆で、自分の犬に忠誠を尽くしてお世話をしているのです。
犬を「芸能人」に例えれば、飼い主は「マネージャー」ではなく、自ら「付き人」の道を選択しているのです。
マネージャーの言うことはきいても、付き人の指示には従わない方が当然だろうと思います。
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科学的トレーニング
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行動心理学を都合よく商売に利用し、科学的トレーニングを標榜する「ドッグトレーニング・ビジネス」が
広く普及しています。
犬のトレーニングに関して、「心理学に基づいた科学的トレーニングを行ないます」といった文言が多く
用いられています。 中にはご丁寧に「最新の科学的研究によって」などと書かれたものもあります。
科学的トレーニングを標榜しながら、「犬の気持ち」「信頼関係を大切に」「服従心」 などといった言葉が
使われているようであれば、それは科学的トレーニングではありません。
信頼を、単なる関係性に過ぎないと言い切るのが、科学です。
科学的であるということは、一定の条件のもとに行なわれた場合、必ず同じ結果が生じるということです。
豊かな心と高い知能を持つ犬の行動が、実験室で行われるようなネズミと同じでないことぐらいは、誰にでも容易に分かるはずなのですが、「科学的」という言葉の魔力によっていとも簡単に騙されてしまいます。
心ではなく行動に着目するということが、私に言わせれば、「表面的なこと」という表現になりますが、
これを「心的概念に依らない客観的な事象」と、とらえて表現する事で科学的となるわけです。
たしかに原理を追及する上では、心といった目に見えないものや、個体差などといった複雑なものを排除し、 単純化することは不可欠です。しかし、それは原理を解明するためのものであって、原理を知っただけで全てを理解したような気になってしまってはなりません。
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科学とは何か
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同一の条件の元において、誰が行っても同一の結果が起きなければ科学ではありません。 多くの方が勘違いをしていますが、心の存在を否定するのが動物行動心理学です。 問題行動の原因を犬という内部にではなく環境という外部に求めますので、犬の能力や個性は考慮しません。 犬の気持ちを考えたトレーニングや、信頼関係に基づく訓練というのは、科学的な方法ではありません。 |
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教育と科学
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人間の教育においても同じですが、教育=科学ではありませんし、ある必要もありません。
もちろん科学的な根拠に基づく指導方法が合理的であることに異論はありませんし、
合理的、効果的、教えやすい理解しやすいといったことは大変に大切です。
しかし、そもそもなぜ、教育が科学でなければいけないのでしょうか。 |
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科学と実践
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そもそも、科学的に証明されていないということが、事実であることを否定するものにはなりえません。
ニュートンが引力を発見する以前から、リンゴは地面に落ちていました。
「事実」というものは、科学の解明にかかわらず存在するのです。
職人技を研究することで、また新たな科学が解明されるのです。 |
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心理学に基づいた
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心理学と聞くと、気持ちを考えたり、心理を探究するように思う人が多いと思います。 しかし心理学というのは、心理の学ではなく、心の理学(原理を追求する学問)なのです。 しかも、犬の訓練に関して述べられている心理学のほとんどすべてが、行動原理主義とよばれるもので、 客観的に目で見ることのできない心というものの存在を認めないもので、 「自由意志は錯覚であって、全ての行動は遺伝と環境によって決定される」というものです。 |
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科学的トレーニング
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行動分析学の創始者スキナーが提唱した、オペラント条件づけという行動原理に基づく訓練方法をいいます。
オペラント条件づけとは、行動の直後の環境の変化に応じて、その後の自発頻度が変化する学習をいいます。
犬の気持ちや信頼関係といった抽象的概念や個々の性格を排除した、行動原理に基づくトレーニング法です。
具体的には、ある行動に対して、良い結果や悪い結果を伴うように操作して、その行動を起きやすくしたり
起きにくくしたりする訓練方法です。 |
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オペラント訓練方法
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「犬が自発的、かつ意欲的にしつけや訓練に取り組む方法」として紹介されていることがあります。
オペラントトレーニングとは、オペラント条件付けを用いたトレーニング方法であって意欲とは無関係です。
また、自発的ではありますが、それは犬の自由意志によるものとは言えません。
なぜなら行動分析学において、自由意志というのは幻想であるとされているのですから。
さらに言えば、ぶん殴って吠えないように教え込むのもオペラント条件付けです。
「しつけをして問題行動が減ること」を、オペラント条件付けにおいては「罰」と表現します。
「罰」は行動が弱められるという意味で、私たちが日常で用いる、叱る、罰するという意味ではありません。 |
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行動の原理
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行動分析学の基本的な原理は、レスポンデント条件づけ(古典的条件づけまたはパブロフ型条件づけ)と オペラント条件づけ(道具的条件づけ)の二つにあります。 |
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行動の原理=図解
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動物は、何かの行動を行なった結果が、いい結果であれば、その行動が増えます。
逆に、何かの行動を行なった結果が、いやな結果であれば、その行動が減ります。
猿でも分かるように図にしてみました。
行動心理学のもっとも重要な事柄ですので、しっかり理解してください。 |
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陽性強化とは何か
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陽性強化とは、「ある行動の結果いいことが起きると、その行動を繰り返すようになる。」ということです。 「ある行動」とは、良い行動も悪い行動も区別なしです。 語感がいいからでしょうか、それとも誤解を狙ってでしょうか。 不勉強なままに行動分析学を都合よく商売に利用したがるトレーナーほど、この言葉をやたらに用います。 |
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陽性強化トレーニング
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オペラント条件付けの行動随伴性の一つである正の強化を用いた訓練を陽性強化訓練といいます。
陽性強化とは、「ある行動の結果いいことが起きると、その行動を繰り返すようになる。」ということです。 「ある行動」とは、良い行動も悪い行動も区別なしです。 語感がいいからでしょうか、それとも誤解を狙ってでしょうか。 不勉強なままに行動分析学を都合よく商売に利用したがるトレーナーほど、この言葉をやたらに用います。 |
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理論の落とし穴
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ハトやネズミであれば成り立つ原理も、豊かな感情と高度な知能、優れた人間とのコミュニケーション能力を持つ犬においては、成り立たないことの方が多いとも言えるでしょう。
そもそも何も教えなくても、犬は行動するのであり、当然に人が教えた以外の行動も行なうのです。
全く人間が関与しなくても、環境には多くの賞罰が満ちていますし、行動自体に内在する褒賞も多くあるのです。 |
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科学的トレーニングの限界
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私が科学的トレーニング一辺倒を推奨しない10の理由 |
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なぜ色々なのか
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「子犬のうちは、なるべく自由にさせましょう」「子犬のうちにきちんとしつけておかないと」
「犬を叱ってはいけません」「悪いことをしたらきちんと叱りましょう」 教える内容や目的、環境や状況、 あるいは教え手や個々の犬によって、違うことが当然でもあります。 しかし他にも様々な要因があるのであって、それらをきちんと知らなければ、正しい選択はできません。 |
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訓える側による違い
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犬に関わるプロと言っても、ペットショップ・獣医師・看護士・訓練士・インストラクター・ハンドラー 審査員・美容師・ブリーダー、動物専門の文筆家や、行動心理学の専門家などもいます。
そしてさらには、しつけや訓練の専門家に限っても次に挙げる様々な理由から、それぞれに異なる意見があります。 |
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誰が犬に教えるのかによる違い
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教え方を述べている本人が犬に教える場合と、犬に教えるのは飼い主である場合とでも、違いが生まれます。
飼い主が教えることを前提としてしつけ方法を述べる場合には、一般の人でもできる方法をあらかじめ選択して、
その方法論を教えます。これが、好意的な見方です。
うがった見方をすれば、自分がするのでなければ、成果に責任を負わないのであれば、何でも言えるのです。 |
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教わる事柄による違い
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「なにを」「なんのために」「どの程度に」教えるのかによっても、選択される教え方は違ってきます。
教えるのは行動か、心か。
外面の行動を教えるのか、内面の心を教えるのかによる違いが、教育か科学か、という見解の違いを生み出します 。 犬に教えることと言えば、「姿勢」や「動作」を教えることが一般的でしょう。 しかし、教えるのはそういった「行動」だけではありません。 |
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教わる側による違い
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教えたいことがらや、どの程度にといったことも、犬の大きさや飼養環境などによってもさまざまです。
たとえば引っ張らないようにということでも、引き倒される危険性のある大型犬と、小型犬とでは全く違います。
いざという時に抱きかかえることのできる小型犬であれば、必要とされる訓練水準はそれほど高くありません。
それゆえにイミテーションでも事足りるのですが、イミテーションであることは認識しておいてほしいものです。 |
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正反対になる事柄
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ほめて教えることについては、どなたもが賛同しますが、問題となるのは、叱ることの是非と、 ほめる方法について、つまり、オヤツなどのご褒美を与えることについての賛否です。 行動の判断を善悪ではなく、損得で決めさせることについての賛否とも言えます。 ほめることはアクセル、叱ることはブレーキの役割をもちます。
何かをするように教えるのであれば、ほめて教える、しないように教えるのであれば叱るのが本来です。 |
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自由な社会とは、実は弱肉強食の社会なのであり、弱者は、規制や罰によって守られているのです。 私の自由は、時としてあなたの自由を侵害します。
このように生じる対立を、あらかじめ解決するものが規制であり、事前に抑止し、事後に戒めるものが
罰なのです。 |
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自発的であれば、それは自由意志である、とは言えません。 行動分析学においてさえフリーウィル(自由意志)は錯覚であると述べられています。
残業しなければ生活の成り立たない賃金体型にすれば、社員は自発的に残業をするようになるのですから。
するかしないかの決定権を、人と犬のどちらが持つべきなのかということです。
ただし、強制するからには、責任が伴います。 |
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教育する上で、科学的手法を用いることは非常に有益ですが、教育は科学ではありません。
たしかに、行動分析学において導き出された行動原理は、非常に有意義なものです。 しかしながら行動分析学は数ある心理学の一分野に過ぎないのであって、唯一無二のものではありません。
科学を取り入れることは大変に重要ですが、科学にこだわることは、教育の放棄とも言えるでしょう。 |
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是非の分かれる事柄
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罰なき社会とは、悪さをした者が得をする社会です。 罰を全面的に否定するのではなく、正しく理解することが必要でしょう。
罰の議論においては、罰を正確に定義にしないままに、 個々人の概念に基づいて話が進められるがゆえに、多くの誤解や混乱を招いています。 |
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暴力についてはほとんどの人が反対しますが、体罰となると賛否が分かれます。 罰と同様に、その定義があいまいなことも一因です。 突き詰めて考えていくと、体罰はいけなくて、精神罰や社会罰は良いのかというジレンマにも陥ります。 |
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叱ることについて、ある人は「非常に手間のかかる効率の悪い方法であり、効果がないからだから駄目だ」と言い、別の人は「即効性があり効き目があるので、頼ってしまうようになるからダメだ」と言うのです。
きちんと学ぶ機会もなく、自己流の解釈ばかりが蔓延しているために、こうしたバラバラの結論に達してしまうのです。 |
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犬のトレーニングに、餌を使う事については大きく意見が分かれます。 餌は非常に効果的な賞である事は事実ですが、いくつもの問題もあります。
飴と鞭という言葉もあるように、見方によればオヤツと体罰は同一線上すなわち表裏一体のものとも言えます。 |
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混同される事柄
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【一般の用語】
罰 :集団・社会における規範などに反した者に対し、集団・社会が行なう、
多くは当人に不利益または不快になること
(対義語は、賞)
身体的・精神的・経済的・社会的などの罰がある
【行動心理学の用語】 罰 :行動心理学では、行動が減少する手続きをいう (対義語は、強化) 一般の意の罰のことは、罰子・嫌子・弱化子・嫌悪刺激という
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体 罰:指導・教育を目的に、暴力などを用いること 暴 力:腕力などを用いて、相手の身体に物理的な力を加えること
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体 罰:指導的立場にある者が 教育を目的に、暴力などを用いること 虐 待:自分の保護下にある者に対し 身体的・精神的・経済的に苦痛を与えるなど不当な処遇を行なうこと いじめ:上下関係・対等関係の仲間内で、その能力の劣る特定の者に対して 一方的に苦しめること
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怒 る:感情の種類の一つ (対義語は、喜ぶ) または、その感情を相手にぶつけること 叱 る:相手の言動を間違いとして責めること (対義語は、ほめる)
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ほめる:褒賞:相手の言動を善いものとして讃えること (対義語は、叱る) ご褒美:報酬:ほめる手法の一つとして、相手に利益を提供すること |
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してはいけない事
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罰すること? 支配すること? 強制すること? 管理すること? 嫌がること? 相手の意に反することの全てがいけないことなのでしょうか。 良い罰もあれば、悪い罰もあります。それらの是非は、それぞれの状況や内容によって判断されるべきです。 全てを一律に禁止して、思考停止させることほど恐ろしいことはありません。 |
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いけない事は、何でしょうか?
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罰すること? 支配すること? 強制すること? 管理すること? 嫌がること? 相手の意に反することの全てがいけないことなのでしょうか。 良い罰もあれば、悪い罰もあります。それらの是非は、それぞれの状況や内容によって判断されるべきです。 全てを一律に禁止して、思考停止させることほど恐ろしいことはありません。 |
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いけないことは、罰なのか?
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「罰はいけません。」「罰を使って教えると、・・・・。」あちこちの本やサイトに書かれています。
そうかと思えば「体罰は暴力による解決を教える教育です。」「叱って教えると、顔色を伺うようになります。」
「怒ることはなりません。」「恐怖心を与えると咬みつくようになります。」「体罰は信頼関係を壊します。」
などとあります。
まずは罰の正体を知ることから始めて考えていきましょう。
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与えていい罰・悪い罰
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「体罰を与えてはいけません」「怒ってはいけません」「叱ってはいけません」 挙句の果てには、「一切の罰を用いてはいけません」などと真顔で言う人さえもいますが、 「罰」の意味や意義を本当に知った上で言っているのでしょうか? 虐待・暴力・体罰・無視・怒る・叱る・天罰・強制などの様々な言葉が、
各々の定義で分類され混同されてしまっているがゆえに、いっそうにわかりにくくなっています。
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怖い思いをさせること
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叩くことはいけないことだからと言って、叩く格好だけをする人がいます。
痛みを与えることがいけないのか、恐怖心を与えることがいけないのかさえも考えていないのでしょう。
犬を精神的な恐怖に追い込んでも、暴力をふるっていないから人道的だとでもいうのでしょうか。
罰の弊害としてあげられる回避行動が生じる点は同じどころか、かえって時間を与える分、回避行動や反撃を起こしやすくなると言えましょう。 |
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犬の嫌がることをしちゃだめ
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私が幼少の頃には、食事中の犬と子育て中の犬には触ってはいけないとよく言われていました。
しかし現在のように室内で共に暮らす家庭犬であれば、例えそのような状況下でも、飼い主に牙を剥くことはあってはならないと思います。人が犬の嫌がることをしてはいけないことはもちろん大切ですが、
同時に、犬に飼い主のすることを嫌がらずに受け入れることも教えておかなければなりません。 |
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怒っちゃいけないの?
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言い古された言葉ですが、訓練士が初めに教わる言葉に「叱るとも、怒るな」というのがあります。 感情的になるな、常に冷静であれと教えられたのですが、最近になって、やや思い直すことがあります。 たしかに怒って暴力をふるうことはあってはならないことですが、怒(いか)りの感情を持つことや、
その感情を相手に伝えることは大切なことなのかもしれません。犬は人間の感情を察知できるのですから。 |
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賞と罰
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賞と罰には、外部環境から受けるものと、行動自体に内在するものがあります。
行動自体に内在する賞罰には、行動自体の快感など
行動分析学では、行動自体に内在する賞罰を考慮しません。
ここでいう賞とは、犬にとって快となる一切をいい、罰とは、犬にとって不快となる一切をいいます。
暖かい涼しいといったことも含まれます。
外部環境から受ける賞罰には、人によって意図的に与えられるものと、それ以外のものとがあります。
人が意図的に賞罰を与え、犬の行動を変容させる行為が、いわゆるしつけや訓練といわれるものです。
行動を変容させるための賞罰には、行動の惹起や過程で与えるものと、結果に対して与えるものがあります。
賞を用いる過程を誘導、罰を用いる過程を強制といいます。
結果に対し与える賞を報酬、罰を懲罰といいます。
誘導や報酬に用いられる賞には、オヤツに代表される物質的なものとその他の精神的なものなどがあります。
強制や懲罰に用いられる罰には、体罰に代表される身体的なものと、その他の精神的なものなどがあります。
相手の身体に直接働きかける物理的な力を暴力といいます。
指導、教育を目的として使用される暴力を体罰といいます。
人が意図的に賞罰を与えるには、つまり、しつけや訓練には対面して直接的に賞罰を与える直接指導と、
環境を操作して間接的に賞罰を与える間接操作とがあります。
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賞と罰
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賞と罰、薬と毒は、実は同一線上にあります。 同じ刺激であっても、その犬が好きか嫌いかによって、賞にもなれば罰にもなります。 犬の身体を叩くという同じ種類の刺激であっても、強弱によって賞にも罰にもなります。 同じ刺激で撫でられても、撫でる相手によって嬉しくもあれば、嫌でもあります。
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直接指導と間接操作
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強制や誘導により犬に教えたい行動を行なわせ、その行動の結果として人が賞罰を与える方法 [ 直接指導 ] と、
犬が行なう自発的な行動の結果として環境で発生する賞罰を、人が操作する方法[ 間接操作 ] とがあります。
ただしここで重要なことは、対面指導はここで述べたような意図的なものだけではなく、
教え手の無意識な対応が、いわば環境で発生する賞罰として犬に与えられてしまっていることです。 |
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一次性の賞罰
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一次性の賞罰とは、自己保存本能および種族保存本能という動物が根幹として有する本能に関与する賞罰を言います。
分かりやすい表現をすれば、食欲や性欲、あるいは安全欲求に直接に働きかける方法です。
いわゆる高等動物から下等動物まで、ほとんど全ての動物に有効であり、もっとも確実な効果をもたらします。
そのため一般に調教とよばれる動物のトレーニングには、俗に言う「飴と鞭」という一次性の賞罰で教えます。
二次性の賞罰のように相手との関係性によって効果が左右されないため、科学実験では一次性の賞罰が用いられます。 |
報酬は罰になる
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報酬に罰せられるように、ご褒美もまた罰であるとも言えるのです。
どういうことかと思われるかもしれませんが、賞と罰、ほめると叱るなどは、それぞれに同じものなのです。
たとえばエアコンのスイッチや電気刺激治療器などは、その強弱によって賞と罰とがすり替わりますし、
ご褒美も貰えることが当然になると、貰えないことが罰になるように、比較によってすり替わる場合もあります。 |
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一次性の賞
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ほめるってオヤツをあげること?
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褒めて教えると言いつつ、オヤツを与えるトレーナーが大勢います。 たしかに褒美を与えることも、数有るほめる方法のうちの一つではあります。 なぜなら愛撫や言葉が有益であるためには、犬に好かれ認められるという能力が求められるからです。 家庭犬、伴侶、家族と称しながら、オヤツでの絆というのではあまりに現代的で寂しい思いがあります。 |
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オヤツを使うこと
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見た目には同じようなことを教えることができても、一番肝心なことが、オヤツでは教えられません。
オヤツという最も安易な手法を初めから取り込むことで、犬との関係作りの大切な一歩を失ってしまうのです。
あなたが犬に、何を教えたいのか知りませんが、オスワリやマテなどを教えるよりも前に、
まず、あなたが犬に好かれる、認められるための方法を教わって、その努力をするべきです。 それを学ぼうとすらしない人、努力すらしない人が、オヤツで犬を操ろうとするのです。 |
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オヤツを使うことの是非
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なぜオヤツを使うのかと共に、オヤツの特性や、それを用いることのメリットやデメリットを考えていきます。
罰を用いることの問題点については、嘘や誤りも含めてかなり周知されていますが、
オヤツを用いたトレーニング方法の本質についてはあまり理解されていません。 |
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オヤツを使うメリット
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オヤツは、動物のもっとも根幹をなす本能に直接に働きかけるものであるため、
その効果が、相手との関係性に非常に左右されにくいという最大の利点があります。
それゆえに、だれもが容易にこれを用いて教えることができますし、
人間との心の絆を築くことのできない動物を相手にも用いることができます。 |
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オヤツを使うデメリット
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そもそも餌や物で釣って教える事は、単に、ある種の取引を犬に教えこむ事であって、愛犬家が本来犬に求める、
犬と人との精神的な絆を作り上げる事にはなりません。
オヤツを使う10のデメリット。
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一次性の罰
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叩くことは、暴力なのか
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暴力としても、体罰としても、もっとも一般的ともいえる「叩く」という行為を例にして考えてみましょう。 叩くことが全てにおいていけないのか、それとも目的次第なのかということです。 叩くことのうち教育目的の場合だけが体罰ですが、それ以外の場合の「叩く」という行為を考えてみましょう。 叩く事は、一般には暴力行為と捉えられますが、叩く行為が見られる一般的場面には次のようなものがあります。 |
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暴力と体罰
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指導的立場にある者が、教育や指導を目的に、相手の身体に働きかける罰を体罰と言います。
しかし、その定義は一定ではなく、その是非についても時代の変遷と共に変化します。
昨今の風潮からすれば、一切の体罰が禁止される方向にあります。
指導を目的として叩くことが体罰なのであって、叩くこと=体罰ではありません。 |
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二次性の賞罰
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動物には、食欲や性欲などの生理的欲求や生存のための安全欲求などといった一次的欲求と、
愛情などの社会的欲求や精神的欲求を主とする二次的欲求とがあります。
二次性の賞罰とは社会本能を有する動物における、相手との相互作用に関わる二次的欲求に働きかける賞罰です。
行動学の研究で主に用いられるネズミやハトには有効なものではありませんし、関係性によっては賞罰となりません。
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ほめると叱る
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行動の結果「いいことが起きれば、その行動は増える。」「嫌なことが起きれば、その行動は減る。」 これが行動分析学の定理です。 褒めるというのは賞の一手法であり、叱るというのは罰の一手法です。 ほめることはアクセル、叱ることはブレーキの役割を果たします。 |
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二次性の賞
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ほめるって何でしょうか?
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「ほめて教える」と「餌を使う」事は、断じて同じではないのです。 心理学者マズローの欲求段階説で考えれば、食べ物を使って教えることは、生理的欲求を充たすことであり、 ほめて教えることは、安全の欲求、所属と愛の欲求を充たすことなのです。 力のある者にほめられることは安心感をもたらすことで、安全欲求を充たします。
ほめられることにより有用感を得ることは、集団社会を形成する社会的動物が持つ所属欲求を充たすことなのです。 |
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二次性の罰
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叱るって何でしょうか?
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叱ると怒る
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「叱る」「怒る」というのは、いずれも相手に対し主張することです。
本来「叱る」は「社会のルール」を、「怒る」は「自分の不快な感情」を相手に主張する行為です。
「叱る」と「怒る」が混同される理由のひとつに、行為者と受け手とで言葉が代わることがあるからです。
「叱る」という言葉は受動態では「叱られる」なのですが、
実際には、叱られた多くの人が怒られたと感じたり、「怒られた」と表現したりするのです。 |
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なぜ叱っちゃいけないの?
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多くの人が上手にできなければ、そこには「教える」というビジネスチャンスが生まれます。 もちろんそれほど単純ではありませんが、極論で言えば、犬のしつけは褒めると叱るの二つです。 「正道」を「禁じ手」にすれば、上手にできない人が増え、 ビジネスチャンスが広がります。 昨今では、叱ってはいけないという思い込みが、多くの問題を抱える飼い主をうみだしています。 |
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なぜ叱らないのか
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叱ることに否定的な意見の人は、「ほめる」の反対語は「叱る」ではなく「ほめない」ことだといいます。 そして、そのことがいかにも優しい指導方法であるかのように語られます。 しかしクラスの29人にご褒美をあげて、1人だけにあげなければ、1人だけ叱られたのも同然です。 私は叱っていませんと言わんがための、まさに教える側の自己正当化にすぎないように思えます。 |
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叱らないことが優しさなのか
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叱ることもいけない、相手の嫌がることもしてはいけない。 大人が子供を叱ることさえも遠慮しなければならない中で、何の教育ができるのだろうかと正直そう思います。 叱らないで育てることは、責任の放棄ともいえます。 |
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叱らないことの問題点
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叱らないトレーニングに害はないのでしょうか。
ホメオパシーと呼ばれる代替療法というものがあります。 それこそ科学的に言えば、副作用もないが治療効果もないものとされます。 もしもその通りであるならば、それは確実に害があります。 なぜなら、効果のないものを実施することにより、有益な療法を受ける機を失するからです。 |
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怖いもの知らずの子供たち
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怖くていうことをきく、そんなにいけないことですか?
もちろんそれがいいなどとは思っていません。
しかし、ある時期や、ある段階においては、それらが必要な場合もあると考えます。
私が子供の頃、親と先生そしておまわりさんは怖い存在でした。でも大好きでしたし憧れもありました。
私にすれば、「怖いものなし」に育てることの方が、よほど怖いです。 |
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叱られるのは当たり前
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叱ることは、ダメという烙印を押すことでもなければ、人間性を否定することでもありません。 ことに誰もが叱られることが当たり前の小さなうちなら、叱られても何ということもないのです。 さらに言えば、能力を認められているから、期待をされているから叱られるのです。 相手に対して想定していた評価よりも出来が良ければほめるし、出来が悪ければ叱るのです。 期待していれば腹も立てますが、はなから期待をしていなければ、誰も腹も立てません。 |
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叱られながら学ぶ
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子供のうちは、良いことも悪いこともいっぱいするものです。
しかしながら、それを認めて、させておきなさいと言っているのではありません。
その度に褒められたり、叱られたりしながら学んでいけばいいのです。
したりされたりを通して、我慢や発奮、怒りや悲しみ、思いやりやいたわりといった優しさなどを、身につけていくのが成長ではないでしょうか。
ですから大人は、叱らなければいけないし、褒めなければいけないのです。 |
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無視してください
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「アメとムチ」と言われた動物の調教も、時代が変わって、今では「エサとムシ」の様相です。 大型犬の夜中の吠えの相談に対しても、平気で「無視してください」と答えるトレーナーさえいます。 そもそも無視するということは、容認するということです。無視が有益となる条件すらも知らないままに、 何に対してでも、無視してくださいと言うのは、あまりにも無知か無責任でしょう。 |
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体罰
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体罰を使う前に
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罰を有益な教育手法とするためには、罰の特性や、罰を使う前に必要なことや、相手との信頼関係の築き方、
ほぐしを含めた罰の後の対応といった使用方法全般を学ぶ必要があります。
その他に、その犬に、その行動に適した罰の選定のために、個々の犬の性格や行動特性を見抜く術も重要です。
行動特性を知っておかなければ、先手を取ることができませんので、罰を逃れる行動を学習されてしまいます。 |
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体罰の使用で大切なこと
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体罰を与える上で大切な事は、『段階』『程度』『タイミング』です。 |
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体罰はいけないのか
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私は、体罰は、犬によって、あるいは、場合によっては絶対に必要であると考えています。
ただし体罰は両刃の剣である事を念頭に置いて下さい。 誤った体罰は、効果が無いのでは無く、逆効果である事を心得ていて下さい。 |
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なぜ体罰がいけないのか
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罰には、体罰や精神罰や社会罰などがありますが、何故か、体罰には非常に否定的な人が多いようです。 しかし行動学から見れば、何かをして犬の行動が減るのであれば、その何かは犬にとっては嫌な事なのです。 ですから、効果があるのであれば弊害があることは、体罰だけではなく精神罰や社会罰も同じです。
見方によっては、罰した側に罪悪感がある分だけ救いですし、犬にとっては理解しやすいものとも言えます。 |
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体罰がいけないとされる理由
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罰がいけないとされる10の理由のと、その検証。
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体罰を容認する意見
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まず初めに申しあげておきますが、私は体罰容認論者ですが、
体罰推奨論者ではありませんし、もちろん虐待容認論者でもありません。
「罰は不可欠」「強制無き訓練は、訓練にあらず」「体罰容認」などという言葉を、どこに行っても述べるがために、体罰をよっぽど多く用いるかのごとくに思われることもありますが、
その頻度は極めて少ないものです。 |
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訓練中に用いられる罰
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同じ方法の同じ強さの罰であっても、教えている段階によっては、異なる種類の罰となることもあります。
罰を与える際に言葉をかけた方が良いのか、罰の後のフォローをした方がいいのかどうかということも、
当然にそれぞれ違ってきます。 |
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罰
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罰はいけないのか
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昨今、社会は厳罰化に進む傾向にあるのに反して、教育の場では「罰を与えることはいけないこと」であって、
「罰を用いないことが良いこと」であるかのように、広められてしまっています。
罰は悪いものと決めてかかって、罰を頭ごなしに否定するのではなく、その功罪をきちんと客観的に検証し、
罰の正しい使い方、上手な使い方を学んでいくことが何よりも大切です。 |
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罰について
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「罰」というのは、「薬」によく似ています。
用法、用量を適切に使用すれば相当の効果がありますが、
効果と同時に副作用のあるものもあれば、 それこそ誤った使い方をすれば毒にもなります。
また薬には大衆薬のように比較的、安易に使っても問題のないものもあれば、医師の処方のもとに使用する要指示薬、
使用を厳密に定められている劇薬といった分類がありますが、「罰」にもある意味で 同じような分類ができます。 |
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罰の種類
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罰とは、社会一般では懲罰、すなわち悪いことをしたことに対する制裁をいいます。 それに加えて一般的なしつけにおいては、強制の手段として、すなわち、しないことに対してさせるためや、 しようとしていることに対して、それを止めさせるために罰が使われます。
また、犬の訓練では、自発的な行動に対し、嫌悪する結果をもたらすように、結果を操作する場合があります。 ここではわかりやすく、それぞれを「制裁の罰」「促進の罰」「制止の罰」「人為的天罰」と呼びましょう。 |
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罰の役割
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賞が、何かをするようにというアクセルの役割を持つのに対して、
罰は、何かをしないようにというブレーキの役割をします。
罰の大きな役割は、「させないこと」と、「やめさせること」と、「させること」の三点です。
それぞれが、「禁止(抑止)」、「制止(中止)」、「強制」です。 |
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罰を用いない教え方
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罰の使用に反対する人たちが推奨する方法と、その検証。 |
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罰禁止の弊害
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そもそも、罰はいけないと言い出すこと自体が不思議でなりません。 悪事を制するものが罰なのです。 本当にいけないものであるなら、なぜ私たちの周りにこれほど罰が溢れているのでしょうか。 スキナーの提唱する「罰なき社会」とは「罪が不問とされる社会」に他なりません。 罰の無い社会であれば、殺人、暴行、窃盗その他、何でも自由に行なっても、何ら咎められることはないし、 それらを行なったことを理由に嫌な目に合うことはないのです。 |
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最新のトレーニング方法
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現在主流のしつけ方
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現在では、褒めることを主体としたしつけ方が主流です。
1990年代前半にアメリカから導入された、行動学の 学習理論に基づいた科学的なトレーニング手法です。
その新しい方式は、それまでの日本で昔から行なわれていた軍隊式の訓練、
すなわち威圧感や罰を主体とした強制的なものではなく、オペラント条件付けの学習パターンの一つである
正の強化に着眼し、罰を用いずに褒めることで犬をしつけるスタイルとして取り入れられたものです。
しかしながら新しい方法とされている正の強化によるトレーニング自体は、古くから経験則として知られており、
訓練士であれば誰もが普通に用いていたものです。新しいとすれば、それは罰を用いないという点でしょうか。 |
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旧来の訓練方法
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「旧来の訓練は、殴って教える、力で服従させる、犬は怖いから従うのです。」 「今は、ほめて教えることが主流です。」
まことしやかにこのようなことが言われていますが、違いは「叱るか、叱らないか」という点だけなのであって、
今も昔も、ほめないで教えるなどということはありえないことです。 |
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犬を預けて訓練すると
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「犬を預けて訓練することはお薦めできません。 なぜなら、犬は訓練士の言うことはきくようになっても、帰ってきて家族の言うことはききません。
訓練士は犬を力で威圧して従わせますから、犬は怖くて言うことをきいているのにすぎないのです。 」
多くの人が、このような意見やアドバイスを耳にしたことがあると思います。
全くの的外れではありませんが、過去にこのような風説が、意図的かつ組織的に広められた経緯があります。
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預託訓練のデメリット
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預託訓練には、費用がかかる、淋しい、心配などのデメリットがあり、躊躇する人が多いと思います。
たしかに預託訓練には、非常に大きなデメリットがあります。
しかしそれは犬や飼い主にとってではなく、犬に訓練を教える側にとってのことなのです。 |
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預託訓練のメリット
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犬自身にしっかりとした訓練を施すためには、無条件に最適な方式です。
手に負えなくなっている場合などは、犬を訓練してもらってから扱い方を教わる方が容易で効果的です。
近くに良いトレーナーがいない場合、預託方式なら、やや遠くでも可能な場合もあるでしょう。
また、問題行動の矯正を目的とした訓練の場合には、病気の入院治療に似た要素が多くあります。 |
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伝えることの難しさ
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「一時期は推奨されていたマズルコントロールも、最新の研究によって現在では・・・・・・。」
という記事を見つけ、その研究方法について尋ねてみたところ、データ調査によるものだそうでした。
マズルコントロールとは何んたるか、をきちんと習得していない人が、安易に教え広めた結果です。 どれほど優れた薬も、その用途や用量用法さえも知らない人が売りさばけば、それは毒にしかなりません。
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旧来の訓練から新しいトレーニングへ |
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旧来の訓練と最新の訓練の違いの本質は、訓練者の育成システムの転換によるものです。
犬のためでも、飼い主のためでもなく、訓練者の育成そのものをビジネスとするために導入されたものが、
科学的トレーニングなのです。 |
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トレーナー育成ビジネス
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ドッグトレーナー育成ビジネス
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犬の訓練者を育成する上でもっとも手間と期間がかかることは、信頼関係の築き方と叱り方を教えることです。
これらは多くの犬たちを相手に、実践による経験の中でしか修得しえないからです。
そのため犬の訓練を勉強したい人は、訓練所に住み込んで犬の世話や手入れといった日常管理と、運動や遊びを通じての信頼関係の構築といったことや訓練の方法を、それこそ何年もかけて犬から学んでいったのです。
当然ながら犬の世話に休みはありませんし、朝から晩まで、汚れる仕事や危険な仕事も多く、そうした厳しい修業に耐えられる人は実際には少なく、犬の訓練者の育成が到底ビジネスとして成り立つとは思えませんでした。
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育成における不採算要因
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つまりは科学的という名のもとに非科学的なものを排除する名目で、訓練方法そのものを限定したのです。
このように信頼関係、罰の使用、個々の特性といった修得の困難なもの、個別指導を要するもの、教材犬を要するものの一切を不要のものとすることで、ドッグトレーニングビジネスは成り立つようになったのです。
「褒めることで犬をしつける」と言いつつも、褒めることは、その効果が相手との関係性に大きく左右されます。 それゆえに導入されたものが「おやつ」です。 |
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訓練士とトレーナーの違い
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ここでは訓練士は、日本警察犬協会、日本シェパード犬登録協会、ジャパンケンネルクラブの公認訓練士を、 トレーナーは、それ以外の団体や学校の認定資格と自称の人を言います。
かなり乱暴な分け方ですが・・・・イメージ的に言えば、次のようなものでしょうか。 |
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訓練士v.s.トレーナー
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訓練士の業界は、良くも悪くも、いまだに徒弟制度の残る職人の社会でもあります。 そのためもあってか、訓練士の多くには、社会人として欠けているところもあります。
たとえば、とかく訓練士は、「トレーナーなんて何の技術も経験もない口先だけの奴ばっかりで」と、
平気でトレーナーの悪口を言うのです。ところがトレーナーは、訓練士相手にそのような悪口をまず言いません。
この時点で一般の方は、トレーナーさんの方を人間的に評価することでしょう。 |
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困る犬・困らない犬
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犬は、大きく次の三つに分けることができます。 1.誰が飼っても、けっこう困る犬 2.飼い主次第で、困るようにも、困らなくもなる犬
3.誰が飼っても、本来ならば、ほとんど困らない犬 |
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なぜトレーナーは犬を叱らないの?
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トレーナー自身が、叱り方を教わっていないからです。
それどころか、トレーナーになるための学校では、犬を叱ることはいけないことだと教えられています。
叱ることには弊害や副作用、あるいは様々なリスクもあり、それぞれの犬に適した、あるいはその時々や状況に適した叱り方といった、技能の修得は多大な経験を必要とするため、学校ではそれを教えません。 |
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方式の違いがもたらすもの
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なぜトレーナーは犬に優しいの?
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その一つには、学んできた訓練のベースである犬の違いがあります。 訓練士は大型の使役犬種を、トレーナーは小型の愛玩犬種を扱ってきた人が多いということがあるでしょう。 大きさの違いは単純に危険度にも直結しますので、必要とされるものがまったく違ってきます。
しかし最大の理由は、全く別のところにあります。
習ってきたもの、そのものが違うのです。 |
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住み込みv.s.通学
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専門学校のように通学で訓練を学ぶ場合、普段は一般の飼い主の家庭で飼われている犬を教材犬として学校に集めて、
生徒たちはトレーニングの授業の時にだけしかその犬と会わないのですから、信頼関係など結べるはずもありません。
そのため、信頼関係を必要としない方法でトレーニングの授業が行なわれるのです。
そもそも、犬との信頼関係の築き方は、犬を飼って、共に暮らして世話をして、初めて学ぶことができるのです。 |
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訓練士とはどういう職業か
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まず、訓練士という肩書きから知っておきましょう。 犬訓練士というのは、国家資格ではなく、法人組織の犬種団体による民間資格です。
一般には、ジャパンケンネルクラブ(JKC)・日本警察犬協会(NPDA) 日本シェパ−ド犬登録協会(JSA)
の3つの法人団体が、各々に公認訓練士の資格を認定しています。 |
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訓練所の体験談を語る人
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訓練所によって、資格取得や独立までの修業年限には訓練所によって違いがありますが、 そこまでに至る人はほんの一握りで、ほとんどの人は資格を得るどころか、一年もしないで挫折していきます。
生体である犬の管理を仕事としてするのですから、住み込みの生活、休み無しの毎日、 朝から夜までの仕事と、
大変なことだらけです。どこの訓練所でも、辞めていった人はたくさんいます。 ことに今の時代、苦労して技術を身に付けなくてもドッグトレーナーとして商売をしていけるのですから。
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しつけ教室
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昨今は、犬のしつけ教室が大盛況です。 ペットショップや動物病院、あるいは行政機関やイベント会場でも見かけます。 しつけ教室に参加される多くの方は、「引っ張らないように」「跳び付かないように」「吠えないように」 といった困りごとを直したいという希望をもっているようです。
ところが参加してみると、まずアイコンタクトをしましょうから始まって、 お座りをするように、次は、一緒に歩けるように、とレッスンが進んでいきます。 「吠えないように」ではなく、「飼い主を見るように」 「跳び付かないように」ではなく、「お座りするように」 「引っ張らないように」ではなく、「一緒に歩けるように」
「いけないことを叱るのではなく、ワンちゃんに、どうすればいいのかを教えてあげましょう。」 「ワンちゃんだって、叱られるより褒められる方が嬉しいんです。」 優しいドッグトレーナーの先生が、教わる犬の立場になったトレーニング方法を教えてくれます。
何かを「する」ように教えるのであれば、教えやすいか教えにくいの差はありますが、 いつでも、どこででも教えることができます。 ところが、何かを「しない」ように教えるためには、しないでほしいその何かを、 ワンちゃんがその場でしてくれないことには、教えることができないのです。 いつでもどこででも、それこそ絶え間なくするのであれば可能ですが、問題行動とされることの多くは、 自宅やその周辺といった日常の生活環境で起きることが多いため、 しつけ教室の場所で、授業の時間内にそれを教えることは非常に困難です。 特に小型犬では、内弁慶の犬が多く、教室の場に連れてくると、借りてきた猫のようになってしまい、 自宅で普段見せるような問題行動をしない犬が多いのです。
さらに致命的な問題もあります。 タイミング良く、犬がそのしないでほしい行動を起こしたならば、上手に止めさせなければなりませんが、 上手に止めさせてしまったら、その授業はもう後が続きません。 逆に上手に止めさせることができなければ、収拾がつかなくなります。
そのため、トレーナー養成学校での授業やしつけ教室では、何かをするようにということを教えるのです。 これはまさに、教える側の都合でしかありません。
これを後押し正当化するのが、科学的トレーニング法の根底である行動分析学の行動原理です。 そもそもこれは、「行動」すなわち「何かをする」ことのみを対象とした学問であって、 「しない」ということは「罰」とされているのです。
別頁できちんと説明しますが、何かを「する」ように教えるのであればほめればいいし、 何かを「しない」ように教えるのであれば叱ればいいのです。 ところがここで、さらなる問題があります。
叱るというのは罰の一つで、罰には薬と同じように副作用や弊害があります。 用途、用量、用法を正しく使わなければ、弊害どころか害のみになってしまいます。 もちろん一般人が、難しい薬の知識を正しく学ぶことは困難ですから、私たちは医者に処方してもらって その指示の通りに服用するのです。 同様に、犬に罰を用いるのであれば、きちんとした専門家の指導を受けることが好ましいのです。
ところがトレーナー養成学校などで学んできた人たちは、養成機関や学校自体が、先ほど述べたような 教える側の都合による授業であり、罰の使い方を教わっていないのですから教えることはできません。
それどころか、教えられないことをごまかすために、「罰はいけないもの」と広められているのです。
罰を禁止したしつけは、ペダルだけでブレーキがない幼児用三輪車のようなものなのですから、 そのようなしつけ方法が広まれば、当然に数々の問題が起こります。 そうして上手に犬をしつけることのできない人が増えるほどに、ドッグトレーナーの需要は高まるのです。
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しつけ教室って何でしょう?
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しつけ教室(しつけ方教室)とは、犬の飼い主に犬のしつけ方を教えるものです。
当然に、犬自身に教えるのは飼い主ということになります。
最近では「しつけ教室」が、動物病院やペットショップ、愛護団体のサブメニューにすらなっています。
訓練士の資格は業務独占資格ではありませんので、資格の有無に関係なく誰もが行なうことができます。
その肩書も訓練士・トレーナー・インストラクターなど実にさまざまですし、その資質もピンからキリまでです。 |
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しつけ教室で学ぶこと
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何を教わりたいのですか? しつけ教室を選ぶ前に、あなたの犬に今何をすべきなのかを知ることが重要です。
何を教えてくれるしつけ教室なのかを、きちんと見定めなければいけません。
しつけと初歩訓練と芸とは、それぞれにリンクする部分はあっても |
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教室に求めるべきこと
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一般論であれば、本やDVD教本などで、いくらでも知識を得ることができます。
本来、しつけ教室に求められるものは、その家庭、家族、愛犬に適した方法を教わることです。
トレーナーは、その飼い主とその愛犬に合った方法を選択し、それを教えることが仕事ではないのでしょうか。 |
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教室に参加する前に
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「どうやって教えればいいのかわからない」という言葉を非常に多く耳にします。
ところが実際には、それ以前の話なのです。
犬を飼い始めたばかりの人は、教え方がわからないどころか、 何を教えればよいのか、
何を教えるべきなのかがわかっていない、もしくは思い違いをしているのです。 |
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教室で尋ねるべきこと
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わからないことは、きちんと尋ねるべきです。 |
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指導方法の違い
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目標設定と評価基準
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教室の選び方
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教室の形態
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指導方式の違い
参加人数:合同方式/個別方式
実施場所:出張方式/教室方式
授業形態:講演方式/実演方式/練習方式
参加対象:統一方式/級別方式
実施回数:単発/定期連催 合同方式・教室方式 |
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教室の料金
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書籍による学習
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Pe10教室
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開業マニュアル
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これさえ読めば、今日からあなたもドッグトレーナー
江戸時代にタイムスリップしたかのような、動物愛護精神に基づくお犬様エスコートマニュアルです。
ドッグトレーナーほど、素敵な仕事はありません。 名刺一枚があれば、明日からでもドッグトレーナーとして開業できます。 資格不要・未経験可・施設不要・開業資金0 必要なのは、セールステクニックとコミュニケーション能力です。 |
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運営マニュアル
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しつけ教室では「犬を預からない」「扱わない」ですから、原則どんなに悪癖の犬でもあなたにリスクはありません。
犬に訓練を施しても犬が良くならないのであれば、その原因は犬にあるか教え手にあるかのどちらかです。
預託訓練の場合には、飼い主にしてみれば、愛犬が悪いのか訓練士が悪いのかの選択になります。
しつけ方教室であれば、上手にできない場合は、飼い主が悪いのか、犬が悪いのかの選択になります。
トレーナーの指導そのものが問題であることに気がつく飼い主さんはそれほどいません。 |
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指導マニュアル
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「犬の一生を考えて、長い目で見てあげましょう。」 「教室の修了は、しつけの修了ではありません。」
しつけ教室に通うのは限られた期間であって、その間にいい子にさせる訳ではありません。
教室では、犬への教え方(ハウツー)を教えるのですから、教わった飼い主が、日々、愛犬に教えるのです。
犬のしつけは一生を通して行なうものです。 |
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欧米式トレーニング
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わが国には、いまだに欧米崇拝者が多いのでしょうか。このような、宣伝文句をよく見かけます。
しかしながら、どこの国や地域においても、統一された犬の訓練方法などはありません。 どれほど優れた方法であっても、 それが成り立つには社会や環境、文化といった前提や背景が必要です。 良いものを手本に高めていくことは大切ですが、きちんと総括して評価してから学ぶことが重要です。
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ファントレーニング
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動物は、自分が何かをした結果として、いいことが起これば繰り返しするようになるという、いわゆる陽性強化に着目したトレーニング方法です。ほめて教えることで、飼い主も犬も一緒に楽しみながらトレーニングができます。
動物愛護精神をもって動物福祉にも配慮したトレーニング手法です。
とのことです。
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ポジティブ・トレーニング
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その子のよいところを見つけて、伸ばしてあげましょう。 「何かをしないように」ではなく、「何かをするように」教えましょう。 欠点を直すのではなく長所を伸ばすという発想に基づく指導方法ですから、犬にとっても嬉しい方法ですし、 トレーナーにとっても、飼い主の意識を問題点から逸らすことができるという大きなメリットがあります。 |
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個性を認めてあげましょう
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いかにも相手を尊重している感が満載ですし、経験豊富な印象も与えます。 なによりも相手の個性を認めることで、トレーニングの成果も個性によるものとなります。 訓練を教える者にとって、これほど好都合な言葉はありません。 そもそも、型にはめたからといって無くなってしまうものは個性でもなんでもありません。 |
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その犬の個性の応じた
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「犬にはそれぞれに個性がありますから、その犬の個性に適した方法で教えましょう。」
全くもってもっともな大切なことです。
しかし、現実には、それぞれの犬の性格や能力を見極めることは非常に困難なことです。
また科学的トレーニング方法であれば、個性は無関係でもあります。
個々によって加減は必要ですが、定石があります。
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実践なき理論は空論です
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夜中に吠える犬の相談に対して、犬の大きさや、お住まいの環境も尋ねずに、「無視していてください。」
「犬に無駄吠えはありません。」「犬が吠える理由を探しましょう。」「犬を叱ってはいけません。」 こうした回答をする人がいます。決まって、動物の愛護だの福祉だのといった愛情あふれた言葉が続きます。
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伊笠間養成学校
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ドッグトレーナー養成ビジネス
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「犬のトレーナーになりたい」「可愛いワンちゃんと一緒に楽しく仕事がしたい」
でも、修業は嫌!住み込みなんてとんでもない!!
きつい・きけん・きたないじゃなくって、知的な仕事がしたい。
「犬に理解のある優しい人なのだと、自分で思いたいし、周囲の人に思われたい」
そんなドッグトレーナーを夢見る人がたくさんいます。 |
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ネットで見かける無責任アドバイス
世の中には、何も犬のことを勉強しなくても、訓練のことを教わらなくても、
自然体で犬を上手にしつけることのできる人がたくさんいます。
同様に、何も躾らしいことをして育てなくとも全く問題を起こさず、
とても良い伴侶となる犬をお飼いになって人もたくさんいます。
また、どう見ても問題児と言える犬であっても、
家族からはとても良い犬だと思われている家庭もあります。
実はこうした人たちの自身の経験に基づくアドバイスは、何の悪意も無くとも、とても危険性を秘めているのです。
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自由にのびのびと
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その犬の終生をそのように育ててあげられ、それでも他人に迷惑をかけることが無いのであれば、
それは理想的に素晴らしい育て方であろうと思いますが、残念ながら、そうならないケースが多数なのです。 子犬のうちに好き勝手を身に付けさせておきながら、やがて犬の力が強くなり我が強くなってから、 躾と称して様々な制約をすることは、犬にとっても飼い主にとっても大きな負担となります。 |
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そのうち自然に
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たしかに事柄によっては、大きくなれば自然に治まることもあります。 しかし多くの事柄は、成長とともに増長するのが普通です。 現実には、飼い続けているうちに飼い主が慣れて、あまり問題意識を感じなくなる場合も含まれています。 問題行動を犬自身の行動を変えることによる解決を望むのであれば、大きくなってからでは困難です。 |
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犬の本能ですから
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本能によるものであることを認識すること自体は、とても大切なことです。 しかし、本能だから全てを認めるというのでは、しつけではありません。 人間社会において容認されないものであれば、本能だからこそ早めにきちんと抑える必要があるでしょう。
社会性のある動物ならではの、従属本能や服従本能などの有益な本能を伸ばすことを忘れてはなりません。 |
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こうしたら、いい子になりました
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いわゆる成功体験は、必ずしも当てにはなりません。 飼い主は、「ある方法」で教えたつもりでも、犬は全く別の事柄からその事を学んでいる場合も多いのです。 また、愛犬家の言う「とてもいい子になった」というのは、飼い主の環境や性格によって求める難易度や、 その達成水準そのものも違いますし、評価も辛口の人と甘口の人がいますので一概に判断できません。 当然に「ほめて教える」を選ぶ人は甘口の評価、「叱って教える」を選ぶ人は辛口の評価の傾向があります。 |
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その方法でやってみましたが、
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同様に、失敗の体験も必ずしも当てにはなりません。
たとえ方法そのものは正しく適したものであっても、きちんと習っていないために、やり方が悪くて成果が
出なかったり、それどころか弊害だけが表れる場合も多くあります。
また、幼犬期において有益な方法を問題行動が起きた成犬に行なっているケースもあります。 きちんとすれば効果のある方法も、安易に真似して行なう人が多いために悪い方法とされてしまっています。 |
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犬の知能は3歳児並みですから
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いわゆる知能は人間の三歳児並みなのかもしれません。しかし生命力や身体能力、精神力など多くの能力において成人をも上回る高い能力があります。
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まず、いろいろ試してみて
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もっともらしい話ですが、ある意味最悪なことです。
そもそも、まず試してみたその方法が、良いか悪いかをどの段階で判断するのでしょうか?
全ての方法が、弊害も無く、進行と共に右肩上がりに良くなっていくのではありません。
バーストと呼ばれますが、一時的に悪化した後に良化することが普通である方法も多くあります。
やみくもに見切りをつけるのであれば、即効的な成果の出る方法以外はすべて排除されてしまいます。 |
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その犬に合った方法で
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これは大切なことですが、多くの人は適した方法ではなく、迎合した方法を選択しているに過ぎません。
怖がりの犬に対して、不必要になだめて時間をかけすぎることによって犬の恐怖心を増幅させてしまいます。
比較対象や経験の少ない飼い主が、客観的に自分の犬を知ることや将来を予見することは非常に困難です。
また、その方法が適しているか否かを、いつ頃の時期に何を基準にどう判定すればいいのかも難しいところです。 |
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信頼関係を壊します
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そもそもが、信頼関係とはどのような関係であるのか、何をもって信頼関係が出来ていると言えるのか、
それを明確にしなければ議論にさえなりません。
馴れている、なついているということと、信頼関係ができているということとは全く別次元のことです。
ちょっと叩いた程度で壊れるのであれば、それは壊れたのではなく信頼関係ができていなかったのです。 |
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犬のしつけには根気が必要です
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この意味をきちんと理解していない人が多くいます。 ある行動をしないように教える場合にまでも、即効的な方法はないのだから仕方がないと思い込んで、
犬がやめないままの状況を許しておく飼い主がたくさんいるのです。
もちろん、一度やめさせたからといって、 もう次からしなくなるわけではありませんので、しないことが習慣になるまで、ずっと続ける必要があります。 |
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「たった2秒で」
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「たった2秒で」というコピーを謳う訓練士に対し、そんな魔法のような方法はありませんという人が多くいます。 「やめさせる」という語には、「中止させる」ことと「しなくさせる」こととの二つがあります。 やめさせるというのが、「中止させる」ことなのであれば、「2秒で」というのは、むしろ当たり前のことです。 無意味に時間をかけすぎることは、相手に何かを理解させる上では妨げとなることが多くあります。
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