私が子供の頃を思い返せば、叱られることは当たり前のことでした。 叱られることによって、悪いことだということを理解していったのです。 そして、みんなが普通に叱られていましたから、叱られても普通に傷つくだけで、 それほど恥ずかしいことでもないし、死にたくなるほど落ち込んだり、殺したくなるほど恨んだりもしません。
それなのに昨今の風潮では、叱られること自体が悪いことであるかのように、 さらには、叱ることさえもが悪いことのようになってしまってきています。 みんなの前で叱られて心に傷がついたなどという発想自体がおかしいのです。
人には誰もが「他人に良い人だと思われたい」という心理があります。 そのため、「叱ることはいけないこと」という風潮が、 特に人前において犬を叱ることを躊躇させてしまいます。何時の頃からでしょうか、人前で叱ることがいけないこととされるようになったのは。 それゆえに、叱られることが必要以上に特別なことになってしまい、まるで、叱られることが恥ずかしいことで あるかのごときに思わせるようになってしまいました。 だからこそ人前で叱ってはいけないなどと言い出す論者が現れるのです。
叱ることは、ダメという烙印を押すことでもなければ、人間性を否定することでもありません。 ことに誰もが叱られることが当たり前の小さなうちなら、叱られても何ということもないのです。 さらに言えば、能力を認められているから、期待をされているから叱られるのです。 相手に対して想定していた評価よりも出来が良ければほめるし、出来が悪ければ叱るのです。 期待していれば腹も立てますが、はなから期待をしていなければ、誰も腹も立てません。 テストが60点だった時、親や先生に怒られる子もいれば、褒められる子もいます。
犬が食卓のおかずを盗んだら多くの人が叱ることでしょう。 しかし、猫が食卓のおかずを盗んでも、多くの人は出しておいた自分が悪いと考えることでしょう。 叱られることは能力を認められていることだとの認識が必要です。
ところが昨今では、注意すら受けることが無いから、「いけないことである」ということすら分からずに、 大人になってしまうのです。 誰もが、初めから何でも知っているわけはないし、できるわけでもありません。 だから、知らないうちや出来ないうちは、注意されることや叱られることで、責任を免れているのです。 にもかかわらず、叱られると、落ち込む、すねる、ふくれる、泣き出す、歯向かうのです。 そして、ちょっと叱られただけで人間性を否定されたかのように思いこんでしまう。
たしかに叱ることによる弊害というのはあります。 しかしそれは全ての罰に言えることで、いや、ほめることにだって弊害はあるのです。 弊害があるからいけないのであれば、薬も飲めなければ、ほとんどの病気の治療をさえ受けることはできません。 この世の中の全て、利があれば害もあるのです。 どうすれば弊害を少なくできるかを考えて実践していく方が、有益ではないでしょうか。 そもそも、叱ることがいけないこととされるから、なおさら叱ることで弊害が出るようになってしまうのです。
本来からいえば、我が子のしつけの仕方などというものは、特に習わなくても普通にできるはずのものです。 子育て本や子育て教室のない時代から、それこそ有史以来、ずっと繰り返して続いてきたのですから。親としての当たり前の愛情で、良いことをしたときにはほめてあげて、悪いことをしたときには叱ってあげればいいのです。 子供と一緒になって、嬉しいことがあれば喜び、 嫌なことがあれば怒ったり悲しんだりするだけのことなのです。おかしいと思いませんか。それなのになぜ、最近になって子供のしつけができない親が増えてきたのでしょうか。 「しつけ方がわからない」という親がたくさんいるのです。
叱ることがいけないことだなどと言われるようになったのは、歴史的にみれば、ついこの間のことのはずです。 叱ることが本当にいけないことで、昨今言われるような弊害だらけのものであるのならば、 皇紀2670年の現在、私たち日本人は、全員が人間不信で怯えきった暴力的な人類になっているはずです。
そもそも「叱ることはいけないこと」などという風潮を産み出したのは、戦後、日本を弱体化させることを目的にアメリカが持ち込んだ思想と、教育を商売の種として金儲けを目論む輩たちなのです。 昨今では、まるで「叱ることは悪いこと」であるかのような情報ばかりが広められ、そう信じ込んでしまっている人も多いのです。それゆえに、「うちの子が叱られた」と言って、クレームをつけてくる親まで現れる始末です。
限界まで我慢して、ついに我慢の限界を超えてから叱るがために、どうしても感情的になってしまうのです。 本来は、もっと冷静なうちに叱ることが必要なのです。 叱ることの目的や意義をしっかり知るとともに、きちんとした叱り方を学ぶことが大切です。
子犬のうちにきちんと叱って教えてあげれば何の問題にもならないようなことを、「叱ることは、いけないこと」という思い込みが、叱ることを躊躇させ、やがて犬が成長するにつれて問題行動として表れてくるのです。 叱るというのは、相手の発達や向上を目的とする指導方法の一つです。 叱るには相手との関係が重要で、技術が要りますし、リスクがあります。 ある意味で、叱るということは、相手のためにリスクを背負うことです。 それが正しく相手に伝わるか否かによって、良い方向にも悪い方向にも、相手との関係をさらに深めるのです。
叱られる経験もないままに成長し、問題行動となった頃になってから初めて叱るのでは、 それこそ本当に、叱ることは、弊害だらけのものとなってしまいます。 人との深い信頼関係を築くことなく育てられた犬には、もはやオヤツで教えるしか残されていません。
そもそも「叱ること」そのものがいけないのではありません。 ほめることとオヤツを与えることを、同一に考えてしまう人がいるのと同じように、 叱ることと罰を与えることを同一に考えてしまう人もいます。指摘することや注意することも、叱ることと並ぶ、指導の手法です。
愛情による深い絆ができていないから、叱ることもできないし、叱って逆に悪化させてしまうのです。 叱ることが有益であるためには、叱られる側に受容能力や所属欲求といった社会性が身に付けられていること、 およびその両者の関係、そして叱った後のフォローができることといった多くの要素が必要です。 |