550二次性の罰
二次性の罰     叱 る  


559叱られながら学ぶ
叱られながら学ぶ
  叱られながら学ぶ

してはいけないことをさせないためには、どのように教えればいいのでしょうか。
世の中には、殺人のようにはじめから絶対にしてはならない「いけないこと」と、
いじめのように、していきながら学んでいく「いけないこと」と、があると思います。
人間の性ですから、いけないとされる事も、きっとするでしょう。
その理由には、 「いけないこととは知らずに」という過失と、 「いけないことだけど構わない」という故意と、 「いけないことだけどまずばれない」という故意と、「いけないこととわかっていながら自身を制御できずに」という故意とがあります。 でも多くのことは、してしまってその時に叱られて、いけないことをきちんと理解すればそれでよいのではないでしょうか。 それを、はなから「全くあってはならないこと」として禁止してしまうから、隠蔽にはしり、より悪質なものになっていくのです。

子供のうちは、良いことも悪いこともいっぱいするものです。
しかしながら、それを認めてさせておきなさいと言っているのではありません。
その度に褒められたり、叱られたりしながら学んでいけばいいのです。
したり、されたりを通して、我慢や発奮、怒りや悲しみ、思いやりやいたわりといった優しさなどを、身につけていくのが成長ではないでしょうか。ですから大人は、叱らなければいけないし、褒めなければいけないのです。

親や先生といった大人が、叱ることをいけないことと考えすぎるあまりに、
問題や危険を遠ざけたり、禁止したりという、一見合理的に思える方策をとるケースは多く見受けられます。
しかしながら、これはかえって学習の機会を奪っていることになりかねません。
子供がストーブに近づくたびに、優しく子供の手をひいて遠ざけてあげていた結果、
たまたま親が目を離したすきに、子供が大やけどを負ってしまうことがあります。
親が見ている間に、小さな危険を体験させておけば避けられる事故です。
一度、指先を火傷すれば、誰が叱らなくても自分で学習するのです。

公園の利用案内を読んであきれたことがあります。あれも、これも、それも、何もかもが禁止なのです。
まさに利用者のためと言いながら、管理者にとってリスクを負わない、都合のよい規則が定められているのです。

同様に過剰な安全対策が、現代人の危険認知能力を失わせてもいます。
昔では考えられないことですが、食べ物にしても、腐っていてもう食べられないのか、 まだ十分に大丈夫なのかの判断を、記載された賞味期限の表示によってしか下せない人が増えています。
子供たちがこれから歩んでいく社会はユートピア(理想郷)ではありません。 現実社会をより理想郷に作り上げる努力は必要ですが、 教育としては、現実を見据えた上で、社会に適応可能な能力の形成に努めるべきでしょう。



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