行動分析学に基づくドッグトレーニングのサイトに次のような文章がありました。
「犬と共生していくために、行動分析は何ができるか?」
「アルファー理論(リーダー論)」に基づいた生活のモデルは、一言で言ってしまえば「犬を支配する」というものになるでしょうか。近年、「犬は家族の一員」といった言葉や、「犬はパートナー」といった言葉がよく見られたり聞かれたりするようになりましたが、同時に「犬のリーダーになりましょう」という言葉も、よく聞かれます。
「飼い主がリーダーにならないと、犬が『僕がリーダーなんだ』と勘違いして、様々な問題行動を起こします。
俗にこれを『権勢症候群』と呼びます」といったものですね。
一方では「家族」や「パートナー」と言いながら、もう一方では「犬を支配しましょう」という矛盾。
「そろそろそういった矛盾から脱却し、本来の意味で『家族』『パートナー』を目指す、つまり『共生する』ということを、目指していく時代になってきている。その為に、行動分析にできることがあるはずだ」というのが、
今回のシンポジウムの概要でした。
「支配する」ではなく「リーダーシップを飼い主が取る」という考え方だという反論もあるかもしれませんが、
それは詭弁というものでしょう。実際、「飼い主がリーダーシップを取る」という考えであったとしても、
そこに見られるのは「飼い主が指示したことを犬にきちんと遂行させる」すなわち「従わせる」といったものですし必ずといっていいほど「服従訓練」なるものが必要とされます。
[ http://ameblo.jp/dogluck-1678/day-20090801.htm ]より引用
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リーダーシップを取ることの何がいけないのだろう?とずっと疑問に思いながら読んでいました。
ここまで読み進んでようやく、この文章の著者の意図することが理解できました。
要は「従わせる」「服従訓練」ということがいけないようです。
家族あるいはパートナーと言いながら支配することを矛盾と指摘していますが、矛盾でも何でもありません。
この人は、会社の社長が「うちの社員はみんな家族です」、スポーツチームの監督が「選手はみんな家族です」
と言うことも矛盾だと思うのでしょうか。 家族同然に大切にしなければいけない、でも犬は犬であって
人間社会のルールも知らないし、責任をとることもできない。だから人間の指示に従いなさいと教えるのです。
指示に従わせることがいけないのではなく、非道な指示がいけないのです。
「飼い主が指示したことを、犬にきちんと遂行させる」ことの、何がいけないのでしょうか。
散歩中、愛犬が車道の反対側を散歩している犬の方に行きたがった時に、待ちなさいと言って犬を従わせて、
何がいけないのでしょうか。公園で落ちている毒団子を犬が食べようとしたときに、ダメと言って従わせることまでもいけないというのでしょうか。 そうした緊急時にきちんと指示に従えるように、普段から練習したり、
習慣づけておいたりすることの何がいけないのでしょうか。
飼い主がリーダーシップを取るのがいけないのであれば、犬の意志にあなたが合わせて従うのですか?
それとも話し合って決めるのですか?
それとも、お互い譲歩して中間点で団子を舐めるまではいいけど、食べるのはダメよとするのですか。
それとも、犬が自らの意志で団子を食べるのを止めるように、団子よりおいしいものをあげるのですか?
「人が望む行動を犬が自ら望んで行う」とする教え方においては、犬が自らの意志でと言いつつ、
犬が選ぶことが許され認められている行動は、人間によって既に決められているのです。
そして、犬が自分の望む振る舞いをしたならば、ほんのひとかけらの食糧を与えると言うのです。
個人的には、偽善というか、すごくいやらしい感じがして嫌いです。
そもそも、こうした人たちは何のために犬を訓練するのでしょうか。
訓練によって相手をコントロールして、自分が優位に立つということにしか思えないのですが、
きっと「優位などという、上下の意識はありません」と言うのでしょう。
そもそも相手の行動をコントロールすること自体が、優位であり、支配ではないのでしょうか。
圧倒的権限を握っている者が、その自覚なく権限をふりまきながら、自分では相手を対等に扱う心優しい人だと思い込んでいるのですからタチが悪いと言わざるを得ません。 |