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その一つには、学んできた訓練のベースである犬の違いがあります。 訓練士は大型の使役犬種を、トレーナーは小型の愛玩犬種を扱ってきた人が多いということがあるでしょう。 大きさの違いは単純に危険度にも直結しますので、必要とされるものがまったく違ってきます。 しかし最大の理由は、全く別のところにあります。習ってきたもの、そのものが違うのです。
なぜ、ほとんどのトレーナーが罰を使わないのでしょうか?
使わないのではなく、使えないのです。なぜなら習っていないからです。 自分でも使えないものを、飼い主に指導することはできません。 それどころか罰はいけないものとして習っているため、何の疑いもなく、飼い主に罰はいけないと教えるのです。 これが教育の怖さです。
いわゆる叱り方や罰し方に関しては、飼い主に教えるのであれば、その家庭で必要としている、その犬に適した 罰とその使い方だけを教えれば良いのですから、簡単ではないにしても、それほど難しくはありません。 しかし、プロを目指す人に教えるのであれば、あらゆる性格の犬に、さまざまな問題行動やその状況に対して、 それぞれに有効な罰を適切に使えるように教えなければなりません。しかも、別頁で詳しく述べていますが、 罰の使用を教えるには、機会訓練といって犬が罰すべき行動を起こす時に合わせて行なわなければなりません。 「さあ、これから始めましょう。」と言って、みんなで一斉に横並びで行なえる性質のものではありませんから、学校、あるいは、授業のような形態で教えるには、非常に不向きです。
そのために、学校では罰の使用方法を教えません。科学的トレーニングを導入することで、罰を禁止したのです。 トレーナーの養成にあたって禁止したのは、技能の修得が困難な罰だけではありません。 修得までに長い歳月を要する「信頼関係」も排除し、 さまざまなリスクがあり手間と経費のかかる、「犬の飼養」そのものも無くしたのです。
いくつかの専門学校では、それなりに名のある訓練士が、学生に教えてはいますが、 学校というシステムの、 限られた時間で教えることのできる方法や内容は当然に限られてきます。 どんなに訓練技能、訓練理論、指導能力に優れた指導者であっても、通学・季節休暇・授業時間・生徒数・教室、さらには、担当犬の数といった制約の中で、限られた年数で、一通りのことを教え込むことなど不可能ですから、当然に教える内容や方法を絞り込むこととなります。
行動原理の研究において、同じ実験を行って、研究者によって結果が異なることは許されませんから、 実験における賞罰はすべて、実施者との関係性に左右されない性質のものが選ばれます。 すなわち、叱るや褒めるといった教育的な賞罰ではなく、エサと電気ショックといった賞罰です。 それなのに、そうした実験結果をもとに、罰は無意味で有害であると述べているにすぎないのです。
もちろん中には、実際に自分で試しに罰を使ってみた人もいるでしょう。 その結果、やっぱり効果よりも弊害の方が大きかったという、自らの経験を得意気に語る人もいます。 罰はいけないものとして習っているということは、罰の使い方を習っていないということです。 習ってもいないで試してみたのであれば、弊害しか現れないのが当然です。正しく行なえてこその効果なのです。
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