いずれもが、判定者や判定基準によって、あるいは行動者の能力や感性によって異なります。
では、犬に善悪の認識はあるのでしょうか。そもそも、倫理や理性といったものはあるのでしょうか。
一般には、犬には善悪の意識は無いと言われます。
叱られそうな時に、媚びたり隠れたりする行動を見て、多くの人が「悪いとわかっている」と思いこむようですが、悪いとわかっているのではなく、この後に嫌なことが起こるということをわかっているに過ぎないと言われます。
規範意識はどのようにして身に付くのでしょうか?
正義感によるものと思いがちですが、根底は、他者とかかわろうとする感情から生まれるのです。
他者の存在を大切なものと感じていないと規範意識は育ちません。
人においては、自分がしたことを感謝されて嬉しかった、自分は頼りにされている、 自分も誰かの役に立っている認められているなど、他者と交流することで得られるそうした感情、 すなわちこうした自己有用感が、規範意識の基礎となるのです。
考えるまでもなく当たり前なこと、それらのほとんどは理屈を理解して身に付けたものではないように思えます。
幼少の頃からさせられてきた事柄です。例えば、私は食事の前に必ず「いただきます」と声に出します。
自分で作った食事でも、自分一人で食べるときでも同じです。
当然に私の年になれば黙って食べ始めても叱られることはありませんし、誰に褒められるわけでもありません。
たんに習慣化した行動は、それをしないと自分自身が気持ち悪かったり落ち着かなかったりするのです。
良い、悪い、の基準 そもそも善悪というのは、人間においても普遍的なものでありません。
一般的には一番の悪とされる人を殺すことでさえも、戦争の場になれば正義とされてしまいますし、
死刑執行のように国家においてなされる殺人もあります。
日常においても、良い人悪い人の判定が、「自分にとって」という基準でなされることがよくあります。
例えばバス停の先の赤信号で停車中のバスが、乗り遅れたお客さんを乗せてあげたとします。
規則に則って考えれば当然に悪い運転手のはずですが、乗せてもらった客は良い運転手だと言うのです。
それでは、犬はどのように善悪を認識するのでしょうか。
いや、それ以前に道徳的な善いこと、悪いことなどといった区別するのでしょうか。
それは、自分にとって利益か不利益かという基準によってなされます。こう述べると犬が全くの利己的な印象をもたらしますが、
社会性を持つ犬においての利害とは、他者との関わりも重要な要素となります。
周囲に受け入れられるかどうかという他者の対応も、環境から好ましい結果を受けるということが善の基準となります。
社会や環境に容認されるか否定されるか、あるいは相手が喜ぶか怒るか、 喜び、悲しみ、怒り、苦しみを理解できるかです。
それゆえに善悪の意識を持つためには、他者の感情を察知できる能力が必要であると考えられます。 |