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行動分析の基本である「負の強化」の意味さえも理解していない人や、 受け売りの知識を並べるだけの、 それこそ素人以下の知識で商売している人もいます。 行動学をろくすっぽ勉強していない人が、陽性強化の意味もわかっていないままに、 あるいは都合良く 取り違えて広告として引用したり、また理論だけでいかにもそれが全てであるかのごとくに、 実践を非難したりすることを快く思っていないだけで、行動学そのものを否定する意見ではありません。 犬の訓練を行なう上で行動学は非常に有益であり、是非勉強なさることをお奨めします。 |
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条件の違いによる問題点 あたかもいいことづくめで万能のように広められているオペラント訓練法ですが、 根底として欲求が充たされた状態であっては機能しないという問題があります。 通常の動物実験では、摂食制限をして体重を10~15%減量させて行ないます。 あなたも、愛犬に同様の摂食制限をしてからトレーニングを行なうのでしょうか。 常に犬を充たされない状況におくことが要求される方法が、あるいは、犬をトリーツ・ジャンキー (オヤツ中毒患者)に育てることが、本当に犬に優しい方法なのでしょうか。 キューブボックスに入った一粒のおやつを取り出すために犬が必死に取り組むオモチャが、 犬の知的玩具と称して売られるのですから犬の知性も随分と馬鹿にされたものです。 まさに、ペットビジネスの商魂の凄まじさです。 挙句の果てには、犬が自主的にハウスに入るように教える方法であるとして、ハウスの内側にレバーペーストを 塗りたくって、犬にそれを舐めまくらせるという方法を、テレビで紹介するドッグトレーナーもいるのです。 すべての動物に当てはまるがゆえの問題点 原理のほとんどは、ラット(ネズミの一種)やハトを使って実験室において導かれたものです。 これらの動物のように、本能および学習に基づく行動が主たる動物においては明解なものも、豊かな感情や、 高い学習能力を持つイヌにおいて、さらには加えて思考能力を持つヒトにおいては、行動心理学はあくまでも 原理であって、そのままには当てはまりません。 実験室ならでは成り立つことの問題点 行動原理が成り立つスキナーボックスでは、逃げ出すこともできない、レバーの他は何もない、お腹がすいている食べ物はどこにもない、そんな状況に置いているからこそ、ネズミはレバーを押すようになるのです。 あなたが1LDKのマンションに住んでいるとしましょう。 あなたの部屋のどこかに「レバーを押すとフードが出てくる装置」を作ってネズミを部屋に放してみます。 さて、スキナーボックスという実験箱で得られた結果と同じ結果が、果たして出るでしょうか。 本能的逸脱による不適応 多くに述べられている理論は、犬の学習的行動においてのみのものであることや、その学習行動に関してさえも、すべての学習の基礎に生得的制約があることについて触れられることさえもなく広められてしまっています。 SSDR(種に固有な防御反応)や本能的逸脱、あるいは遮断化と飽和化の効果についても、 行動学者はきちんと 述べているにもかかわらず、ドッグトレーナーにおいては、悪意か不勉強かは別にして、 全く述べられることが ありません。 すり替えられる原因の究明 行動分析学の根源は、行動の原因を外部の環境に求めることにあります。 オペラント行動は、個体が自発する行動であるにもかかわらず、その行動が発現した理由を考えないところに 根本的な問題があると言えます。 オペラント条件付けによるトレーニングが究明する原因は、発現した原因ではなく、増減した理由だけなのです。 問題行動における行動修正には、対症療法と原因療法とがあります。 吠えで困っている場合、吠えた時に、犬に行動の結果として嫌なことを与えるというのが、 オペラント条件付けの正の罰によるトレーニング方法です。 負の罰によるトレーニング方法は何かというと、吠えるようになった原因を見つけ、その原因を無くしましょう、すなわち、これまで犬が吠える行動によって得ていた、いいことを取り去ってしまいましょうというものです。 こう述べられると、あたかも対症療法と原因療法が行われたかのように錯覚してしまいます。 表面を取り繕ってしまうことは、このように本質の問題を未解決のままにしてしまうのです。 行動操作は、理由を隠します 赤ちゃんが泣けば、普通は、赤ちゃんが泣かないようにしようと考えるのではなく、おむつかな、おっぱいかなと赤ちゃんが泣きだした原因を考えるのではないでしょうか。 ところがオペラント訓練法というのは、その行動を問題化するまで看過することにより、行動の原因を行動増加の原因にすり替えることを可能にしているのです。 予防的見地の欠如 これまで無かった行動があらわれたときも、例えば成長に伴って警戒心が芽生えての吠えについても、行動分析学では、最初に吠えた時のきっかけを原因に、吠えたことにより生じた犬にとってのいいことを 強化された原因とみなして対応を進めていくのです。 具体的にどういうことかと言うと、 郵便屋さんが来た→犬が吠えた→郵便屋さんが帰っていった→郵便屋さんを見ると吠えるようになる 嫌子(郵便屋さん)の出現→犬の行動(吠えた)→嫌子の消失=負の強化 これでは、根治など出来ようはずがありません。 原因究明のために、原因と思われる欲求を順次一時的に満たしていく消去法が行われる場合が多いでしょう。 オペラント訓練法では、初回の行動は容認されるのです。 つねに着目するのは、その後、行動が増えたのか、減ったのかという「増減という変化」だけです。 大型犬が他人に咬みつくという行動も、初回は許されるのでしょうか? まるで、後出しじゃんけん 人が何かを与えた時にそれがご褒美であるのか罰であるのかは、その後の結果によって決まるのです。 犬が吠えた時に、飼い主が犬の元に行って犬の頭を一つ叩いて戻ることをしていたとします。 この「犬の頭を一つ叩く」という行為が、賞であるか罰であるかは、その犬がその後、さらに吠えるようになるか 次第に吠えないようになるのかで決まるのです。その後、犬の吠える行動が増えるのであれば、この際の飼い主の「叩くという行為」は、暴力でもなければ体罰でもなく、ご褒美とされるのです。 使用される賞罰の偏り 相手との関係性に左右されることのない一次性の賞や罰のみが用いられます。 実験は、罰は電気ショック、賞はエサでなされるのですから、その結果は本質的に偏りが生じます。 一次性の罰と二次性の罰とでは、その効果や弊害はもちろん、そもそもの作用そのものが全く異質なのです。 具体的な例でいえば、通りすがりの見知人に叩かれることと、親に叩かれるのでは、全く別物と言えるでしょう。 体罰の賛否は別にしても、暴力と体罰の違いはほとんどの人がお分かりになると思います。 また、罰の功罪は、相手との関係性のみならず、罰を与えられる者の理解度や罪悪感によっても違いが生じます。 つまり、何ゆえに罰を受けたか理解できない時や状況と、そうでない場合とでは、反応は当然に違います。 ところが行動分析学では、科学であらんがために、科学的トレーニングでは二次性の賞罰は用いられませんし、 それらについての研究もなされていません。にもかかわらず、一次性の罰を用いての実験結果だけで、 一切の罰をひっくるめて、罰はこうこうであると、結論付けてしまっているのです。 同じく賞についても、本来、犬にとっての強化子は、生得性強化子と習得性強化子があるのにもかかわらず、 生得性強化子しか用いていません。 ・使用する賞罰の偏り。 ・不十分な罰の検証。 ・罰なき社会を理想とするスキナーの偏見。 ・現代では倫理的理由によって罰の研究が制約されている。 特にお薦めの書籍: ・うまくやるための強化の原理 ・アニマルラーニング ・メイザーの学習と行動 |
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行動学の限界 そもそも「しない」というのは、行動ではないので行動学の対象外です。 ・犬が行なうのは教えた行動だけではない ・報酬は人間が与えるものだけではない ・外見を真似ても、それだけでは内面は育たない ・外見の区別はしても、内面の区別がなされない。 跳びかからんための伏臥と屈服した伏臥 停車車輛 エンジンがかかっていない エンジンがかかっているがニュートラル エンジンがかかっていてアクセルとブレーキを踏んでいる 大切なことは指示を解除した時の行動(ニュートラル状態こそが重要・掴む手よりも離す手) ・血統による先天的行動特性を理解していない 犬種による差異 血統による差異 (計画繁殖のなされている犬種ほど顕著である) ・犬の行動は本能と感情と体験(経験による学習) 人間の行動はそれに加えて、知識と思考(予測)と倫理。 問題行動がそのいずれから発生しているのかによって、コントロールしなければならないものが違ってきます。 人間でいえば、道徳心が欠如していて問題を起こす人に、いくら知識を与えても解決しません。 むしろ、その学んだ知識を悪用しさらに悪化させてしまうでしょう。 |
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