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人の教育には自主性が重要ですが、その人間でさえも、自主性が重要だからといって自主性ばかりを重んじていたのでは、
初期の教育は成り立ちません。その頃はまだ、人としての根本価値観ができあがっていないからです。
そのために幼少期は、外から仮に与えられた価値観に依存します。
そしてその価値観に反発したり、
共鳴したりしつつ自分の内部に取り込み、学習や経験を通して再構築していくのです。
このように、社会との関わりや経験によって、それぞれに自己の善や悪を形成します。 ですから教育にとって、社会との関わりと経験は、最も重視しなければならない要素です。 しかし同時に、その基礎には先天的な要素があります。
犬の場合、善悪の判断になる価値観は、その先天的な要素の上に、親犬や繁殖環境を通じてその基礎を習得し、 さらに飼い主となる家庭において身に付けていきます。 生き物として必要な行動規範は、育児を通じて母犬から学びます。 その上で、人間社会における家庭や社会生活で必要な、行動規範や道徳を身につけさせるべきなのです。 愛犬にとって、何が正しくて何が間違っているのかを決めるのは、犬と飼い主を取り囲む社会環境です。 子犬は、自身の行動が、周囲の社会に受け入れられるのか否かによって、善悪の認識を培っていくのです。 そして言うまでもなく、犬に教えるべき社会とは、人間社会です。
最近では、そうした常識や良識を身に付けさせることを、支配あるいは管理主義と言って否定する風潮があり、 その結果、自制心や抑制心を身につけることなく育てられてしまい、問題行動を起こす犬が増加しています。 まだ小さいから言っても分からないのだから、という理由を付けて、善悪の価値基準を教えないままに育てて、 人間でいえば中高生ぐらい、身体もだいぶしっかりできて、精神面においても、親とよりも友達との関わりを 深めていく頃になってからようやく教えようとするのですから、反抗することのほうがむしろ当然です。
悪いと思っていてしているのと、悪いと思っていなくてしているのでは、これは大変な違いなのです。 一見、悪意がない分だけ許されるように思えますが、少なくとも悪いと思えば、抑制心が働くのが普通ですし、 また改心の動機にもなります。
しかし、もともと道徳心がなければ、抑制も利かず、改心もできず、そのあげくに凶悪化するのです。
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