・しつけは、教育です。 犬との関係づくりとしつけに、おやつを使いません。 ・基本は、賞と罰です。 ほめることは当然ですが、罰を全否定してはなりません。 ・信頼関係こそ礎です。 主従関係を大切にします。主の放棄は責任の放棄です。 ・犬とつなげる心の絆。 リードは犬をしばりつけておくためのものではありません。 しつけとは社会に適合させるための教育です。 それゆえにしつけの内容は、その犬が暮らしていく社会(家庭)によって様々です。 適切な方法も飼育の環境や目的、そしてしつけをする側される側の個々の要素により大きく違います。 それぞれに一長一短がありますので、よく考えてお選びになるべきだと思います。 正しいしつけを広めることで、飼育放棄を少しでも減らしていきたいと願っています。 犬が好きで一緒に暮らすことを始めたのですから、どなたもが犬の幸せを願っていることと思います。 思う存分に可愛がってあげたい、犬の喜ぶことをさせてあげたい、たくさん遊ばせてあげたい・・・と。 自由にのびのびと育ててあげることは、犬にとって大変に喜ばしいことだと思います。 また、犬の嫌がることをしないということは、動物福祉の観点においては当然のことでしょう。 しかしその結果、問題行動による飼育放棄や殺処分に繋がるのであれば、正しい選択であるとは言い得ません。 人が優しく寛大であるのは、自身に危害や不利益が及ばないうちだけです。 犬は人を裏切りませんが、人は犬を裏切ります。 |
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昨今は、犬のしつけ教室が大盛況です。 ペットショップや動物病院、あるいは行政機関やイベント会場でも見かけます。 しつけ教室に参加される多くの方は、「引っ張らないように」「跳び付かないように」「吠えないように」 といった困りごとを直したいという希望をもっているようです。 ところが参加してみると、まずアイコンタクトをしましょう、から始まって、 お座りをするように、次は、一緒に歩けるように、とレッスンが進んでいきます。 「吠えないように」ではなく「飼い主を見るように」 「跳び付かないように」ではなく「お座りするように」 「引っ張らないように」ではなく「一緒に歩けるように」 「いけないことを叱るのではなく、どうすればいいのかを教えてあげましょう。」 「ワンちゃんだって、叱られるより褒められる方が嬉しいんです。」 優しいドッグトレーナーの先生が、教わる犬の立場になったトレーニング方法を教えてくれます。 何かを「する」ように教えるのであれば、教えやすいか教えにくいの差はありますが、 いつでも、どこででも教えることができます。 ところが、何かを「しない」ように教えるためには、しないでほしいその何かを、 ワンちゃんがその場でしてくれないことには、教えることができないのです。 いつでもどこででも、それこそ絶え間なくするのであれば可能ですが、問題行動とされることの多くは、 自宅やその周辺といった日常の生活環境で起きることが多いため、 しつけ教室の場所で、授業の時間内にそれを教えることは非常に困難です。 特に小型犬では、内弁慶の犬が多く、教室の場に連れてくると、借りてきた猫のようになってしまい、 自宅で普段見せるような問題行動をしない犬が多いのです。 さらに致命的な問題もあります。 タイミング良く、犬がそのしないでほしい行動を起こしたならば、上手に止めさせなければなりませんが、 上手に止めさせてしまったら、その授業はもう後が続きません。 逆に上手に止めさせることができなければ、収拾がつかなくなります。 そのため、トレーナー養成学校での授業やしつけ教室では、何かをするようにということを教えるのです。 これはまさに、教える側の都合でしかありません。 これを後押し正当化するのが、科学的トレーニング法の根底である行動分析学の行動原理です。 そもそもこれは、「行動」すなわち「何かをする」ことのみを対象とした学問であって、 「しない」ということは「罰」とされているのです。 別頁できちんと説明しますが、何かを「する」ように教えるのであればほめればいいし、 何かを「しない」ように教えるのであれば叱ればいいのです。 ところがここで、さらなる問題があります。 叱るというのは罰の一つで、罰には薬と同じように副作用や弊害があります。 用途、用量、用法を正しく使わなければ、弊害どころか害のみになってしまいます。 もちろん一般人が、難しい薬の知識を正しく学ぶことは困難ですから、私たちは医者に処方してもらって その指示の通りに服用するのです。 同様に、犬に罰を用いるのであれば、きちんとした専門家の指導を受けることが好ましいのです。 ところが、トレーナー養成学校などで学んできた人たちは、養成学校自体が、先ほど述べたような 教える側の都合による授業であり、罰の使い方を教わっていないのですから教えることはできません。 それどころか、教えられないことをごまかすために、「罰はいけないもの」と広めているのです。 罰を禁止したしつけは、ペダルだけでブレーキがない幼児用三輪車のようなものなのですから、 そのようなしつけ方法が広まれば、当然に数々の問題が起こります。 そうして上手に犬をしつけることのできない人が増えるほどに、ドッグトレーナーの需要は高まるのです。 |
犬を訓練する方法だけを学ぶのであれば、それほど難しいことではありません。 訓練の方法は、実に簡単です。犬の行動に応じて賞か、罰かを与える、ただそれだけのことです。 ただし、賞や罰にはいくつかの種類があり、それぞれの特性があります。 大別すれば、生存本能に働きかける一次的報酬(罰)と、相手との関係性に基づく二次的報酬(罰)です。 わかりやすく大雑把にいえば、一次的の代表例はおやつや体罰、二次的の代表例はほめるや叱るです。 訓練の際、どういった賞や罰を使うことができるかどうかは、その人が何をどれだけ学んできたかによります。 まず罰は、薬と同じで効果がある半面、弊害や副作用も多く、適切に使うには相当の勉強と経験が必要です。 また、相手との関係性によって成り立つ賞罰を用いるためには、犬と信頼関係を作らなければなりません。 ところが、犬と信頼関係を作る方法を学ぶことは、訓練方法を学ぶことほど容易ではありません。 訓練士の技能の半分は、性格を見抜いて、いかに短期間で犬の信頼を得られるかという能力であると言えます。 訓練士は自らが犬に教えますから犬との信頼関係を築くことは不可欠なことですので、それを会得するために、 それこそ犬たちと寝食を共にして、たくさんの犬に教わりながら何年にもわたって学ぶのです。 しかし学校やセミナーに通ってドッグトレーニングを学ぶ場合には、そうしたことはできませんから、当然に、 一次的報酬を用いた訓練方法を、「最新の犬に優しい科学的トレーニング法」として習うことになるのです。 そもそもドッグトレーナーは、犬に教えるのではなく人に教えるのですから犬との信頼関係は必要ありません。 たしかに、どんな犬とでも、ある程度の短期間で信頼関係を築くことができるようになるのは難しいことですが、 飼い主なら一緒に生活している自分の愛犬とだけ信頼関係を築けばいいのですから、それほど難しくありません。 せっかく、飼い主なら教えてもらいさえすれば、愛犬と信頼関係を結ぶことができる状況にあるのです。 しかし犬との信頼関係を結ぶ方法を教わっていないトレーナーには、それを教えることができません。 トレーナーは迷わず、自分が習った「信頼関係を排除した科学的トレーニング方法」を飼い主に教えるのです。 |
教えるのは行動です、でも育てたいのは心です。 たしかに教えるのは、「スワレ」や「フセ」「マテ」といった行動です。 でも、私が本当に教えたいのは、表面的な行動などではなく、心なのです。 「とてもお利口で、お座りもお手も伏せも、一通りは何でもできます。でも機嫌が悪いと咬んできます。」 ・・・・実は、こんな相談が非常に多いのです。 私は「科目訓練」とよんでいますが、家庭犬であれば科目の優等生であることの意味は、さほどありません。 私の犬育てにおいては、科目を教えることは、手段であって目的ではありません。 伏せの姿勢は犬にとって服従心を要求される姿勢であるからこそ、「伏せ」を教える意味があるのです。 ですから服従心を要求されない方法で伏せを教えることは、単にイミテーションの制作にすぎないのです。 外見的には同じようなものが出来ても、中身は同じにはなりません。 意味がないどころか、マイナスかもしれません。土台を作らずに家を建ててしまうようなものだからです。 建物が出来てしまってから基礎工事などできるはずもありません。 |
私が飼い主の方を対象にした「しつけ方教室」を開校したのは平成3年ですが、 当初、思いがけない間違いに気が付きました。 最近でこそ、広く各地で、しつけ教室が開催されていますが、その頃は未だ、 欧米に於けるしつけ教室の情報以外は得る事ができず、試行錯誤で始めたものです。 通常、訓練士が犬を訓練する場合、「親和の期間」と称して、数週間は、本式の訓練は一切せずに、 犬と仲良しになる事に専念します。そうして、ある程度の友好関係や信頼関係を築いた後に、訓練を始めるのです。しかし、しつけ方教室において犬に教えるのは飼い主なわけですから、当然に犬との親和はとれているものと考えてしまったのです。ところが教室を始めてみると、犬が、ほとんどと言っていいほど飼い主に注目しないのです。 まさに「飼い主になど目もくれない」という状況です。 数頭の犬が集まったら、もう他の犬に完全に気が行ってしまっています。 教室が始まって、飼い主が誉めてあげても、犬はちっとも喜ばないのです。 これでは、「下手に叱るより、無視した方が良い」という指導法は使うことができません。無視する事が、有効な 罰と成り得る、その前提が無いのですから。 確かに皆さん誰もが、ご自分の犬を、まさに家族の一員として育て可愛がっているのですが、飼い主の愛情は、 その真意が犬には伝わっていないようです。 なぜなら、多くの方の愛情というのは、溺愛であったり、押し付けであったり、奉仕であったりなのです。 多分に眉唾の部分があるにしても、まだ、飼い主に忠誠を尽くしたという「ハチ公」の話は、美談でありましょう。ところが多くの方は、その逆で、自分の犬に忠誠を尽くしてお世話をしているのです。 犬を「芸能人」に例えれば、飼い主は「マネージャー」ではなく、自ら「付き人」の道を選択しているのです。 意外に感じる方もいるかも知れませんが、犬が自分の傍に寄って来た時に、 「可愛いね~」「いい子だね~」といって撫でてあげることさえも、あまり良い事では無いとも言われます。 なぜなら現代に於ける家庭犬は、犬としての仕事を失い、吠えて呼べば飼い主は来てかまってくれるし、 お腹が空けば食べ物をくれる、トイレにいきたい頃になれば、表に連れ出して貰える。 さらに言えば、ドアの前にいけば、ちゃんと自分の為に開けてくれる。 (ドアを開けて、犬が先に出るようなら、犬はそうとしか思いません) そして、自分が散歩をしている間じゅう、きちんと後をついてくる。ただでさえこうした環境にあって、この上、 愛情さえも、自分が欲した時に得る事ができるという事は、全ての行動の主導権を犬がもつ事に他ならないのです。 日常の生活で、こうした関係を飼い主自らが作っているのですから、犬からすれば、しつけ方教室のレッスンは、 お互いの立場を逆転した、まるで「王子様と乞食」のようなゲームの時間です。 ゲームの最中は、お互いに面白がって、お互いの役どころに徹するかもしれませんが、ゲームが終わった後までも 王子様は、乞食のいう事をきくものでしょうか。 訓練所に預けて犬だけを訓練しても、あなたの言うことをきくようにはならないのと同様に、 しつけ教室でのレッスンを受けても、関係そのものを変えなければ、あなたの言うことをきくようにはなりません。 訓練士がこういうことを言っては商売にならないかもしれませんが、ご自分の犬に対し、適切なリーダーシップを とれる方が、通常の犬をお飼いになる場合や、普通の方が、依存心が強く支配欲の乏しい犬をお飼いになった場合、普通のしつけ程度なら、訓練に出す必要などないのです。 逆に言えば、適切なリーダーシップをとれる方が犬を訓練に出せば、訓練から帰ってきた犬はとても良く言う事を きくようになるでしょうし、リーダーシップをとれない方は、いくら犬を訓練に出しても、飼い主がその後、 相当の努力をなさらなければ、全く意味が無いという事です。 |
・犬は、人類にとっての最良の友です。 ・犬は人と共感することのできる限られた動物です。 ・犬は野生で生きる動物ではなく、人間社会で暮らす動物です。 ・犬は犬、人間とは全く異なる本能・習性をもつ動物です。 ・人間は、地上を支配するとてもエゴな動物です。 |