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学校案内(躾と訓練)  動物取扱業登録 動保第 120232

  よくしつけられた犬は素晴らしい家族の一員になります

  愛犬をきちんとしつけることは

  犬への愛情であり、社会への責任です








入学にあたって

よくしつけられた犬は素晴らしい
家族の一員になります。
しつけは犬への愛情であり、
社会への責任です。



しつけ相談

ご家庭の状況や愛犬の様子を
実際に拝見した上で
アドバイス致します。



訓練学校(本科)

預託方式/出張方式
 ・家庭犬初級コース
 ・パピーコース
 ・悪癖矯正コース



しつけ教室(別科)


個別方式/合同方式
 ・パピー教室
 ・家庭犬しつけ方教室
 ・アマチュア訓練指導



本校への入学を希望なさる方へ
まずは、飼い主の方からお話をお伺いします。
次に、ご愛犬との実際の状況を拝見します。
気になる点について、私が扱ってみたり、私の指示に沿って飼い主の方に扱ってみていただきます。
それらにより現在の問題となっている行動の、原因を推定します。
その上で、飼い主の方とご相談の上で、どのような方式で教えていくのかを決めていきます。
一般的には、ここから先のいわゆる治療や施術が、しつけや訓練として認識されていますが、
実際にはここまでの段階、すなわち原因の把握と対策の決定こそが、成否を決定する最重要事項なのです。
問題行動の原因が飼い主のこれまでの対応にある場合と、犬自身に問題がある場合とでは、
当然にお奨めする方式が違いますので、必ずしも飼い主の方のご希望に沿ったものではない場合もあります。

病気の治療であれば、入院治療・通院治療・往診治療・在宅療養などがあるのと同様に、問題行動の改善にも
いろいろな方式があり、原因や症状の程度、その他の要因によって、適切な方法が異なります。
一時的に環境そのものを変えて、犬にきっちり教え込む必要がある場合 [ 預託方式 ] もあれば、
犬にきちんと教えさえすれば、現在の環境はそのままでかまわない場合 [ 出張方式 ] もあります。
犬にきちんと教え込むことが、プロの技能を必要とする場合 [ 本科 ] もあれば、
方法を教わりさえすれば飼い主でも充分にできる場合 [ 別科 ] もあります。
逆に、問題の原因が飼い主の日常の対応や関係性にあるのであれば、プロが犬に何を教えようと意味は無く、
飼い主自らが学んで、自身の対応を変えなければならない場合 [ しつけ方教室 ] もあります。

入校相談の際には、お薦めする方式や期間や費用、期待できる成果についてもご案内いたします


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犬は 育てたいようには育ちません。
育てたように育つのです。良い犬に育てるための第一歩は、あなたが良い飼い主になることです。
あなたとあなたの愛犬を見て犬好きな人が増える、そんな飼い方をしなければ、真の愛犬家とは言えません。

家族の一員として犬を飼うなら、誰もが、愛犬が良い子に育つ様にと望むはずです。しかし残念なことに、
飼い主の手に負えなくなったり、他人に迷惑を掛けるようになってしまったりする場合が多々あります。
良い飼い主になるためには、まず犬という動物を、正しく理解する事が必要です。
たとえどれほど賢く、また愛らしくとも、犬は、「イヌ科の動物」なのです。
しかし同時に「犬は、有史以前から、人間との共同生活を営んできた」という事実を忘れてもいけません。

変に「犬を擬人化」して考える事や、その逆に、「犬を野生」としてとらえて考える事は好ましくありません。
例えば、犬がその家族の話す言葉が分かるという事は事実でしょう。
だからといって、何でも話してきかせれば言う事をきくという論法にはならないのです。

多くの方が、「何も教えない子犬のうちに、自由を与えすぎる」という失敗をします。
基本的には同じ習性を持つ人間同士でさえも、外国に行けば習慣の違いから、様々なトラブルを起こすのです。
ましてや、習性も、感覚も全く異なる四つ足の動物が、人間の生活に入り込むのです。
何も教わらず本能のままに行動すれば、問題を引き起こすのが当たり前です。

無責任な飼い主は、教えるという自分の義務を怠ったまま、愛情のつもりで、犬に自由を与えてしまいます。
そうしていながら、犬が自分にとって不都合な事態を惹き起す度に、犬の自由に制約を加えて、
次第に欲求不満の犬を作り上げ、更に犬の自由を奪うという悪循環を繰り返すのです。

あなたの意志で、犬をお飼いになった以上、しつけは、あなたの責務です。
「イヌ」は、しつけをしてこそ、初めて「犬」。
素晴らしい家族の一員に、そして、人間社会の一員になれるのです。

もちろん、お金をかけて訓練に出したり、苦労してしつけ方教室に通ったりしなくても、
「人様に迷惑をかける事」を気にしなければ、または「自分たちが、我慢さえすれば」、
あるいは、「イヌは、吠えたり噛んだりするのが当たり前だと自分で思いこみさえすれば」
しつけを行なう事を放棄してしまっても、イヌは、飼える(生かしておける)のです。
ただし、そうした飼い方をする人々が多くの犬嫌いの人間を生み出し、犬に対する多くの制約を招いている事を
承知して頂きたいと思います。正直に言えば、そうした人には、犬を飼わないで欲しいのです。

そもそも犬を育てるという事は、さまざまな面でも、相当に大変な事なのです。
時間的にも精神的にも体力的にもゆとりがあって、自身できちんとしつけの出来る方は全く問題がありません。ところが、いざ、しつけ始めてみると、なかなか思うようにいかない方が多いようです。

その原因が、飼い主の教え方にあるのであれば、しつけ教室に通い、飼い主が「教え方」を学べばよいのです。
しかし、忙しくて犬に教えるどころではなかったり、体力的に犬の方が勝ってしまったりしている場合には、
訓練士に依頼した方が結果的に早道なこともあります。 訓練士に頼む、しつけ方教室に通う、自己流で行う。
いずれの方法でもかまいませんが、しつけだけはきちんとなさってください。
愛犬と共に暮らす、これからの年月を考えれば、ほんの一時期の事です。

その一時期、時間を、手間を、あるいはお金をかけることを惜しんだがために、
良きパ−トナ−になるはずだった愛犬が、いっそう手間のかかる存在になったり、家族に危害を加えるように
なってしまったりした時、実は本当に可愛そうなのは、教育の機会を与えられなかった犬なのです。
基本をしっかりと教えておく事は、ご家族にとっても愛犬にとっても、たいへんに有意義な事だと思います。


                



 
「散歩は毎日行くのですか?」と尋ねると「散歩は毎日行かなくても良いのですか?」と逆に聞かれます。
またよく、「どれくらい散歩をさせてあげれば良いのでしょうか」と言う質問を受けます。
ものの本には、「毎日、欠かさず散歩に連れて行かなければ」とか、
「この犬種は、朝夕40分位引き運動をさせなければならない。」などと、まことしやかに書かれています。

最も問題となるのは、これを真に受けて初めの数ヵ月か数年の間はそうして、それが続かない場合です。
だれしも犬を飼い始めた当初は、可愛らしさやもの嬉しさもあって、一生懸命に散歩に連れて行くのです。
ところが成長に連れて犬の力は強くなり、散歩がだんだん大変な仕事になってしまうのです。
この頃にはすでに、お子さんやご主人は一抜け二抜けして、犬の散歩は主婦の仕事になっています。
犬の大きさや性格によっては女性の力では手に負えず、次第に誰にも連れて行って貰えなくなるのです。
ここまで来れば、悪循環も終点の間近です。たまの日曜日、ご主人が散歩に連れ出そうとしたら、
犬にとっては久し振りの散歩で一層興奮して、ご主人までをも引きずりまわす始末。
いつしか犬は、庭の隅に繋がれたままで一日中吠えている。これこそ典型的な保健所行きの事例です。

そもそも皆さんは、何のために犬の散歩に行くのでしょうか。
排便排尿のため、犬の運動のため、飼い主の健康のため、などなど色々あろうかと思います。
私の意見としては、散歩は飼い主と犬とのコミュニケーションの時間であり、日光浴や、社会馴致、
あるいは気分転換であったりするべきだと考えます。
ほとんどの人は、犬の運動のために行かれているのでしょうし、それは一つの大切な目的ですが、
必要運動量をむやみに増やすような育て方には賛成できません。
たしかに運動不足はストレスや体調不良の原因となりますが、きちんとしたしつけもせずに、
犬を疲れさせることを目的として、それによって問題行動を起こさせないようにしようとすると、
より以上の運動を必要とするようになります。むしろ運動を考えるなら、量より質を考えるべきでしょう。

私がいつも言うのは、何とも無責任な表現ですが、なるべくいい加減にお飼い下さいという事です。 
犬は人間の子供と違って、友達から話を聞いて、それをうらやむという事はありません。
自分の置かれた世界が全ての世界なのです。
散歩に行かない日があるかと思えば、長時間歩く日もあるし、すぐに帰る時もある。
初めから、そういった生活をしていれば、犬もそういうものだと思って育つのです。
 
もちろん、だからと言って初めから劣悪な環境に置くことを推奨しているのではありませんし、
間違えても運動をさせる必要がないといっているのでもありません。
当り前の話しですが、なるべくきちんと運動をさせてあげるにこしたことはありませんし、
規則的な生活が理想である事に異論を挟むつもりはありません。
しかしもし途中で続かなくなるくらいなら、習慣にさせない方が良いのです。
犬の寿命を15年と考えて、その間それほど規則的な生活を送れる人がどれほどいるというのでしょうか。
また義務感で散歩に行くから、最も肝心な「犬との コミュニケーション」が、図れなくなるのです。
難しく考えないで、飼い主も犬もが、楽しんで行ける時間と距離で良いのです。

腰に古タイヤを付けたスポーツ根性漫画の主人公のように、飼い主を引きずり回しているあの様子は、
どう見ても鍛練であって、散歩ではないように思えるのは私だけでしょうか。
もちろん犬にとって散歩は最高の楽しみの一つですが、逆に見れば、食事と散歩しか楽しみが無いようなら、
飼い方そのもの、つまり犬と飼い主の関係に問題があると言えます。


 
 日本人の犬の散歩の光景といえば、まず犬との綱引きです。
そして、すれ違う人や犬に吠えかかり、ところかまわず排泄する。
飼い主は、といえば、単なる「動く杭」といった感じです。
なかには、犬に引っ張らせなければ犬の運動にならないと信じ込んでいる人さえもいます。
犬が怖い人にすれば、大きな犬が飼い主を引きずりながら近づいてくれば、不安でたまりませんし、
実際問題、犬の危険な行動を制止できない飼い主では、犬を放して散歩しているのと何ら変わらないのです。
無責任な犬好きの人が、多くの犬嫌いな人を作り上げている事に、飼い主は気が付かなければいけません。

皆様は、護身犬や橇犬を育てているのではないと思います。
人間社会でみんなに愛される犬にするには、歩く番犬・歩く闘犬であってはならないのです。
大切なのは、幼犬期の社会馴致です。生後2~3ケ月の頃に、よい人・よい犬にたくさん会わせる事です。
こうする事により、犬や人に対して不要な警戒心を持たなくなります。
また自動車や工事の騒音など、街中の様々なものにも自然に慣らしておくと良いのです。

散歩中に行き交う人やすれ違う犬に、むやみに吠えかかる犬もいます。
案外、飼い主は平気な顔をしているのですが、犬が見知らぬ人に吠えるのは当然と思っているのでしょうか。
犬が見知らぬ人に吠えかかるのは、自分の家の中でのみ許される事なのです。
道行く人に喧嘩を売って歩く事など、人間で言えばさしずめ、チンピラか、愚連隊が、俗な言葉で言えば
「ガンつけて歩いている」のと同じです。非常に無礼、且つ、恥ずかしいことだと認識して下さい。

犬を放して散歩をさせる人の多い事にも驚かされます。
呼ばれたらすぐに来るという基本すら教えていない飼い主に限って、この傾向が強いのは情けない限りです。
そうした人に限って、うちの犬はおとなしいからとか、何もしないから大丈夫だというのです。
法律を持ちだして、犬を放す事は一切まかりなりませんといいだすつもりはありません。
しかし犬を放す事には、もっと慎重でなければなりません。それ以前に呼ばれたら直ちに来る様に
しっかりと教えておかなければなりませんし、十二分に時と場所を選ばなければいけません。
プロが相当に訓練した犬であっても、爆音を響かせて来るバイクや、風で突然に倒れてきた自転車に怯えて
逃げ出したり、散歩中の発情期の雌犬を追ったり、急に逃げ出す子供を追いかけて転倒させてしまったり、
猫や転がってきたボールを追いかけて、車道に飛び出してしまったりという事があるのです。

犬を放すという行為には、犬がいなくなってしまったり、交通事故にあう、また、飼い主の知らない間に
危険なものを 食べてしまったり等といった、自分の犬に不幸な結果を招くことのみならず、
咬傷事件を含めた不慮の事故の加害者となったり、他の犬と喧嘩したりすることもあります。
また、犬が勝手に遊び回っている間の排泄物の処理の問題や、不純異性交友?といった問題もあります。

大型犬を散歩中の飼い主が、放している小型犬に寄って来られて、必死に自分の犬の紐を引き寄せている光景も
よく見受けます。大きな犬を飼う人は、そうした状況でも問題がおきない様にしつけておくべきでありますが、
小型犬の飼い主も、いくら自分の犬が危害を与える事は無くても、いざ噛まれた途端に被害者面をする前に、
普段からむやみには放さない、といった程度の良識は持ちたいものです。

次に、排泄物の始末の問題ですが、基本的に、散歩を排便・排尿の機会としない事です。
愛犬雑誌の読者欄に、「スコップも持たずに犬の散歩をしている人さえいる」という投書がありましたが、
私などは、万一の粗相に備えてティッシュとビニール袋をポケットに持つだけですから、
第三者目にはそう思われているのかも知れません。
しかし私にすれば、犬の散歩は、あくまでも散歩で、排泄のためのものではないのです。
私達だって、出かける時には、前もってトイレを済ませます。そしてそれ以外にも次の様な理由があります。

○ トイレ場所を選ぶ犬に人間がついて歩くことにより、犬が行動の主導権を持つようになる
○ 早くトイレに行きたい一心で、散歩中に出かけるとき、いっそう引っ張るようになる
○ 雄犬は、マーキングによって自我が強くなると共に、縄張りが広がる事により防衛意識が強まる
○ 排尿の始末をする人はいない (毎日、沢山の犬に、家の前でされる側にしてみればたまらない)
○ 便の状態がいつもいいとは限らない (舗装された路面において、きれいに取る事は難しい)
○ 伝染病・寄生虫の媒介源となる                       
○ 商店街・繁華街をつれて歩けない                       
○ 始末をする姿や持ち歩く様は、恰好いいものではない (もちろん、そのまま立ち去る、途中で捨てる等は論外です)
○ 大雨が降ろうが、飼い主が熱を出しても怪我をした時でも、散歩に行かなければいけなくなる

【参考記事】公園で、一般利用者に嫌われる愛犬家の行為
○ 砂場、芝生でオシッコをさせる
○ ベンチの上に、犬を乗せること
○ 水道の蛇口から直接水を飲ませる
○ 公園の片隅での、ブラッシング
○ 通路際や、樹木につないでいる  
 


 
「三つ子の魂、百までも」という諺があります。 いわゆる「芸」を教え込むのなら、
また、さまざまな「科目の訓練」を教えるのならば、犬が何才になってからでも教えることはできます。
しかし、人間でいう「人間性」を身に付けさせる事ができる時期は、ごく限られています。

犬のしつけは、犬を家庭に迎えた日から始めるべきだと思います。
なぜなら、人間がどう考えようが、たとえ家族の方にその意図が無くとも、犬にしてみれば、その日、正確には
それ以前から、自分が置かれた環境や、人間と接する全ての時を通じ、様々な事を学習していくのですから。
もちろん、教える内容や教え方については、その月齢に合ったものでなければなりませんし、
それぞれの月齢に応じて、教えるべき事柄があります。
無上の愛情を受けなければいけない時期、試練を受けなければいけない時期、
その時々にあった環境を作り、教えてあげることが必要です。

人間の子供でも同じですが、国語・算数といった教科の科目を教えるのは、それに適した、ある程度の年齢に
達してからになるのでしょうが、だからといって、それ以前は、何でも子供のしたい放題にさせて、
返事や挨拶はおろか、茶碗の持ち方や、服の着方等すら教えない親など、いるものでしょうか。



 しつけと訓練
しつけは初歩で、訓練は高等なものと思っている人もいるようですが、
しつけは、規範の枠に合わせるためのものであり、訓練は、能力の習得や向上のためのものです。
しつけは、「~をしないように」といった、すなわち「抑制」。
訓練は、「~をするように」「~ができるように」といった、「高揚」とも言えるでしょう。

多くの方が、愛犬の訓練を考え始めるとき、「吠えないように」「噛まないように」「引っ張らないように」
などといった具合に、いわゆるしつけを望まれている場合が多いようです。

当たり前のことですが、人間が何も教えなくても、犬は犬なりに様々なことを学習します。
犬自身が何かをした時に良いことが起きれば繰り返しするようになりますし、
逆に、嫌なことが起きれば次第にしなくなります。これは、全ての動物の行動原理です。
つまり、何かをするようにしたいのであれば良いことが起きるようにすればいいし、
何かをしないようにしたいのであれば嫌なことが起きるようにすればいいのです。
それらを意図的に行なうことが、いわゆる躾や訓練です。


 
本校では、本気で犬のしつけに取り組みたい方に、「叱っても壊れない信頼関係の築き方」と、
「信頼関係の壊れない叱り方」をお教えします。
もちろん、「誰でも、簡単に、楽しみながら」できる方法ではありません。
しかし、関係作りに根差したしつけをすることによって、犬の可愛さは雲泥の差となります。
そもそも、ちょっと叱ったからといって壊れるようなものは、信頼関係ではありません。
もとより信頼関係が存在していないか、よほど叱り方に問題があるかのどちらかでしょう。
愛情があればこそ犬を叱れるのであり、犬の能力を認めるがゆえにさせることができるのです。
叱るために必要なものは犬への愛情と、教えるという熱意と覚悟です。






     

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