570体罰
体 罰

572体罰の使用で大切なこと
体罰の使用で大切なこと
 
段階 
  出来ないものは、殴ろうが蹴ろうが出来ません。
  強制は、能力ではなく意志に働きかけるべきものです。

程度
 
  強すぎず弱すぎず
  ただ一度きりのつもりで、初回を最強の強さで。
  記憶に残ること 
  漸増は馴化の元。反応や様子を見ながら、少しずつ強めていくことは最悪です。

タイミング
 
  即時でなければなりません。2秒以内などという人もいますが、それでは遅すぎです。
  起きてからでは遅い

使用する上で大切な三つのポイント
体罰を与える上で大切な事は、『段階』『程度』『タイミング』です。

ポイント1(段階)
最初に、『段階』について述べましょう。
そもそも、訓練の「訓」は「筋道をたどって、道理を教える」、「練」は「何度もねって、質の良い物にする」の意味なのです。「訓」の段階、つまりは犬に、飼い主は自分に何をさせたいのかという事を理解させるまでの段階において、体罰は無用なのです。
「人間が、犬に何をさせたいのか」を、犬が理解する前に叱る事は、犬の学習に対する要求を低めるだけで無く、犬を萎縮させ、飼い主との信頼関係にも悪影響をもたらします。
できないものは、いくら叱ったところで、できる様にはなりません。          
逆上がりのできない子供を、竹刀で百回叩いたところで、逆上がりができるようになるわけがありません。
できるのにしない、という段階まできて、初めて犬を叱るべきです。

では、「何かをしない様にする」事を教える時はどうでしょうか。
吠えた時に、叱って止めさせるとか、跳び付いてきた時に、はたいて叱るといった具合に、犬の問題行動自体を、「叱って教える」といった、言わば対症療法的な教え方をする必要性もあるでしょう。

対症療法という言葉を使いましたので、簡単にその説明をしておきましょう。
例えば、咳が出るので、咳止めを飲む。熱が出たので、解熱剤。頭が痛いので頭痛薬、といった具合に、現れた症状に対して、その症状を押さえる治療法です。
それに対して、それらの症状が出る原因が、病原菌に依るものであるなら、その病原菌の根絶に作用する抗生物質を飲む、というのが原因療法です。

犬の訓練について、これを当てはめて考えてみましょう。吠えて困る犬に対して、その犬が吠える様になった原因を探り、その原因自体を改めていくのが原因療法であり、吠えたら叱るというのが、対症療法といえるでしょう。 理想的には原因療法が好ましいのですが、そのどちらにも一長一短があり、現実には双方を平行して、あるいは、前後して教えていく事が多いのです。

ポイント2(程度)
次に、『程度』について、話を進めましょう。
多くの方の失敗に、叱っているつもりでも、犬にしてみれば遊んで貰っている気持ち、という事があります。
そもそも、犬の触覚は人間に比べてはるかに劣っているといわれます。
犬をほめる時の愛撫に並んで愛打という言葉を使いますが、軽く叩いたのでは、犬はほめられているとしか感じませんし、それよりちょっと強めに叩いても、犬には叱咤激励されているようにしか思えないのです。
ではどのくらいの強さで叱れば良いのでしょうか?
それは、犬の性格と、犬と飼い主の親和の程度によって大きく異なります。
いくら叩こうが、ケロッとしてしっぽを振ってついて来る犬もいれば、たった一度軽く叩いただけで尾を巻き込んで、上目遣いに顔色をうかがう様な犬もいます。また当然に犬の大きさによっても違います。
もの静かな家庭で育った犬と、腕白な子供達に囲まれて、小突き回されながら遊んでもらってきた犬とでも違ってきます。性格の弱い、臆病な犬に対しては、「体罰」を使わずに、怒鳴って叱るだけであっても、叱りすぎになる事だってあれば、逆に、相当に強い体罰を与えても、叱るうちに入っていないこともあるのです。
目安としていうならば、犬が、叱られたというリアクションを持つ程度の強さが必要です。
私は、いつも「必要」且つ「充分」な強さでと言っていますが、体罰を与えても、犬が、人間の止めさせたいその行動を中止しないようであれば、犬には、罰として伝わっていない訳です。
中途半端な強さで、効果のない体罰を続けたり、また逆に、必要以上に強い力で、体罰を与える事は、ただ単に、打たれ強い犬を作り上げていることに他なりません。

跳び付き癖でお困りの方に、強さの程度による失敗を多く見受けます。人を見ればお構いなしに跳び付く犬がいます。はたして跳び付く犬が悪いのでしょうか。私にはそのように育てた、飼い主が悪い様にしか思えません。
それにも拘らず「あなたの叱り方では、犬には全く通じていません。叱る時にはこれぐらいに叩いて下さい。」と言って、私が犬を叩いて見せると、「まあ、可哀想」という顔をするのです。
自分では手に負えなくなってしまい、犬を手放そうかと悩んでいる人が、です。
怪我をさせる程に強く叩く訳でもないし、犬に分かる様にさえ叱れば、ほんの数回叱るだけで済むのです。

また、もしも強く叩く事を可哀想だと思う気持ちがあるのであれば、早めに叱る事が大切です。
坂道に止まっている自動車が、動き始めたその瞬間ならば、人一人の力で止める事も可能なのです。
ところが、多くの方は、加速がつくまで待っていて、それから止めようとしているのです。
これでは無理に決まっています。

また、号令を掛ける声の強弱にも気を付けて下さい。
犬が他の事に気を取られている最中には、飼い主の声はなかなか届かないものです。だからといって、感情的になりすぎて、大声ばかりを出していると、「怒鳴らないという事をきかない犬」になってしまいます。
そして、自分の感情で犬を叱らない事です。「叱るとも怒るな」という事をいいますが、犬に体罰を用いてもいいのは、人間が冷静な時に限ります。そのためには、あまり我慢をしない様にした方が良いでしょう。
犬がいけない事をした時は、腹が立っていないうちに、きちんと叱って教えてあげましょう。 

ポイント3(タイミング)
最後に、『タイミング』です。
自分が何をしたから痛い目にあったのかを犬が分かるためには、タイミングよく罰を与える事です。
与える罰と罰したい行動との因果関係を、犬に理解させることができなければ、罰はその目的を果たしません。
人間であれば、言葉で説明することによって、事前や事後であってもそれを理解させることができるでしょうが、犬ではそうはいきません。

よく知られる例で言うと、「散歩中に、猫を見かけると追いかけていく犬」がいます。
突然引っ張られて引きずられて行くと、犬は電柱の下で立ち止まり、逃げた猫を見上げています。
やっと態勢を整えた飼い主が、「急に引っ張ったらだめだ、」といって叱ります。
しかしこのタイミングで叱られたのでは、犬は「猫を逃がしてしまった事」を叱られたとしか思いませんから、次は、猫を逃がさない様にと、もっと勢いよく飛び出して行くのです。
この様に、タイミングを間違えると、犬は全く違う事を学んでしまいます。

呼んでもなかなか来ない犬がやっと来て、捕まえた途端に叱る人がいますが、犬は紐をつけられた事と叱られた事とを結びつけて覚えますから、一層呼ばれてもこない犬になってしまうのです。
「タイミングを逸してしまった時には、素直に諦める」事も必要です。         
意味の伝わらない体罰は単なる暴力にすぎません。
体罰を与える側にいくら意味があっても、犬にその意図が伝わらないのでは、これは意味の無い体罰なのです。
犬に先手をとられたまま、下手にあがいてその場をしのいでも、後々に悪い影響を与えるだけです。
むしろ、その場はそのままやりすごし、もう一度同じ状況を作為します。
今度は、犬の行動も予測できているのですから、タイミングを計って、強めのショックを与える事により、犬に教えるほうが、遥かに良いことです。教えるという立場にいる人間が、後手をとっているという事は、それだけを見ても、もう既に、犬が、行動の主導権を握っているということなのです。

教える側は、常に犬に神経を注ぐと共に、犬の行動を予測することがタイミング良く教えるためのポイントです。叱り方としては、なるべく瞬間的に叱る様にします。犬に喧嘩を売るのではないのですから、脅す様な叱り方、追いつめる様な叱り方はするべきではありません。
臆病な犬ですと「窮鼠かえって猫を噛む」の例えもありますし、自我の強い犬ですと反抗心を高める結果にしかならない事もあります。

また、決して、犬を追いかけて叱らないで下さい。そうした叱り方で犬が身につけるのは、逃げる事だけです。
犬の印象に残るのは、自分に向かって来る飼い主の姿と、叩かれたという恐怖心だけなのです。

また、叩く部位についてですが、犬に怪我をさせないならばどこでも良いというものではなく、例えば、他の犬に跳び掛かろうとするのを叱る時に、お尻を叩いたのでは、追い込みをかけるというか、犬にすれば、けしかけられている様にしか感じませんから、その行動を制止すべく、鼻先(鼻梁)を叩くのが自然ではないかと思います。
それなのに、顔は急所だから叩いてはいけないといった、中途半端な意見に惑わされる人が多いのです。



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