叱ることもいけない、相手の嫌がることもしてはいけない。 大人が子供を叱ることさえも遠慮しなければならない中で、何の教育ができるのだろうかと正直そう思います。 叱らないで育てることは、責任の放棄ともいえます。
犬に教えることは、もちろん異なる種の動物に教えるのですから、ある面において、少しは難しくもあり、 それなりの勉強や練習が必要です。 しかし、信頼関係とは、そうしたものを通じ、乗り越えてこそ、築かれていくものではないのでしょうか。
余談になりますが、社会全体として人間関係が非常に脆弱で希薄になってしまっていることを憂いています。 叱ってでも、相手を良くしてやろうという熱意がないのです。 叱りもしないが、付き合いもしないという、昨今の切り捨て社会です。 叱らない多くの人は、だめなら見捨てるのです。学校教育で言えば、退学処分です。 動物愛護の先進国のように思われている国において、咬癖犬に対しての主流となっている対策は、精神安定剤の 投与と安楽死です。
私は、どちらかと言うといわゆる出来の悪い方に属することの多い人間ですので、僻みや偏見かもしれませんが、 体罰を否定する人の中に、安易に人を排除する傾向が見えてなりません。 いわゆる出来の悪い人に対し、はなから色眼鏡で見たり、すぐにレッテルを張ったりして、 「あの人たちは何々だから」といって一線を引いてくるのです。 私などは、殴られることよりもこうした扱いを受けることの方が、はるかに人格を傷つけられる思いを持ちます。 たしかに、叩く、殴るといった、直接に力に訴える行為というのは、野蛮な行為かとは思います。 しかし、文化程度の高低と、人としての価値とは別物です。 安易に他人を、それこそ高慢な言動で野蛮人扱いする文化人こそが、合法的でありながら陰湿ないじめをしているように思えてなりません。
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