目標設定と評価基準 |
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目標設定と評価基準 いわゆる飼い主の「困る指数」は、犬の悪行の程度を表しているのではありません。 飼い主の評価は、人それぞれです。 はたから見て、どう見ても問題犬であっても、「うちの子はとっても良い子に育ちました。」と感じていたり、 そう話をしたりする飼い主も多いのです。 「うちの犬は、無駄吠えなんて全然ない・・・・」という話で、実際に犬の様子を見てみると、犬はよく吠えて います。ところが飼い主いわく、これは、「ちゃんと理由があって吠えている」のだそうです。 同様に、「うちの犬は咬みついたりしない・・・・・」というお宅に伺ってみたら、何かの折に犬は唸りながら 飼い主に噛みついていても、「・・・・これは、甘噛みでじゃれているだけ」、なのだそうです。 もちろんその逆に、非常に些細なことに神経質なほどに問題意識を述べる飼い主もいます。 このように評価基準がありませんので、「しつけに失敗してしまって」という人の犬と、 「うちの子はとっても良い子に育ちました」「困ることは全くありません」という人の犬とを比べた時に、 飼い主の話をきくだけでは、どちらの犬の出来が良いかは全くもって不明です。 一般論でいえば「ほめて教える」を標榜する人は、日頃から犬の良い面を見るようにしているのですから、 評価基準そのものが低い分だけ、当然に評価自体は高くなります。 何々流の訓練という表現は嫌いなのですが、敢えて言えば、いわゆるアメリカ流の訓練と日本流の訓練の 最大の違いは、この評価基準にもあります。 たとえばアメリカ人に「あなたは日本語ができますか?」と尋ねると、「イエス」と言って、 知っている 日本語を得意げに聞かせてくれる光景をご覧になったことはありませんか。 ところが、日本人に「あなたは英語ができますか?」と尋ねると、 相当にできるはずの人でも 「いいえ、できません」と非常に控えめな返事をするのです。 几帳面、完璧主義、謙虚が美徳である日本人ならではの国民性かもしれません。 飼い主に、アメリカ的訓練法を指導することは、このポジティブ思考を植え込むことでもあります。 顧客満足度は、ある意味で重要なことですが、ともすれば、自己満足を促すだけの場合もあって、 成果としてみた時には必ずしもあてにはなりません。 そもそもが「目標の設定」次第なのです。 あらかじめ目標そのものを低めに設定させれば、容易に達成感を味あわせることができます。 同じく成果についての評価も、採点基準次第の非常に主観的なものであります。 |
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おそらくどなたもが、自分が思い描く犬との生活があって、自身の愛犬に対して求めるものがあると思います。 その求めがもたらすものについて、その求めを実現するために必要なことと、それがもたらすものについてを 知っておくことが重要です。 「普段は自由に、でも自分の都合によっては聞き分け良く」というのが、もっとも多くの方の希望です。 しかし、不可能とは言いませんし実際にそのようになっている犬も多くいますが、これをどの犬どの飼い主にも 実現させることは非常に困難を極めることなのです。 相反することの両立の難しさや、欲求は肥大するということが理由として挙げられます。 夢見る愛犬家が ボール投げの遊びや、ドッグランなどでの犬同士の遊びなど、人も犬も楽しむことができる こうした遊びも、 必ずしもメリットばかりではなく、それに伴うデメリットもあります。 パワーアップさせれば、当然にそれに伴う制御システムを築かなければいけなくなります。 それが、自分にできるのかということも考えておくべきでしょう。 それらを知らされないままに行なっていった結果、後になってから「こんなことになるのがわかっていたら、 そんなことは求めなかった」という事態を防ぐためです。 率直に言って、パワーアップ自体は、ある意味で容易です。 その分野の知識はありませんが、おそらく新幹線も、乗客の乗り心地や沿線への害、さらには緊急時にも安全に 停車できることを考えないのでよければ、時速500キロでの走行も技術的には可能なのではないでしょうか。 本能を伸ばす訓練というのは、下り坂でボールを転がすようなものですから、自分自身が押すために要した力、 それ以上の成果が見えますので、行なった者にとっては大いに成果を感じることができます。 しかし本能を抑える訓練というのは、登り坂でボールを転がすようなものですので、表れる成果は、自分が苦労 した度合いよりもどうしても少なくなりますし、ややもすれば、手を離した隙に元の位置まで戻ってしまいます。 頭の良い人であれば、下り坂を選んでボールを転がします。 次に、その求めを実現するために必要な事柄を知ることも必要です。 掲げる夢によってはその実現のためには、あなたは今の仕事を辞めて、犬とずっと一緒の日々を送らなければ いけないかもしれません。犬に教えるための時間は作れない、手間をかけて苦労するのは嫌だ、犬の教育にお金はかけられないなど、無い無いづくしであるならば、速やかに夢は諦めるべきです。 犬を育てるにあたって、犬に何かを教える際に、そして犬と一緒に暮らしていく中で、 あなた自身が、何をかわいそうだと思い、何を幸せだと感じるのでしょうか。 犬の教育にあたって、費用、手間、時間、勉強、それらのどれを費やすことを、あなたは希望するのでしょうか。良い悪いなど全くありません、それこそまさに人それぞれなのです。 |
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方法の評価 いわゆる迷信というか、思い込みも多くあります。 「ある方法で良くなった」「ある方法で悪くなった」という話をよく耳にしますが、 実際には、その方法が良い方法、あるいは悪い方法であったのかどうかが、定かでないこともあります。 これは、日常の犬との生活において、一般的には因果関係の特定がきちんとなされていないことによります。 オペラント訓練法を勉強された皆さまはお分かりのように、とかく私たち動物は、 自分が「何かを行なった」時にその直後に生じた事象を「その行動の結果」として捉えてしまいがちです。 その方法の行為とは無関係な事象によって変わったのかもしれません。 例えば、ぎっくり腰などの腰痛は、我慢してほったらかしておいても、数日たつと自然に治まることが多く ありますが、この際に自己流の治療を行ない数日後にちゃんと治ると、あたかも、その自己流の治療に効果が あったように思い込んでしまいます。 本来であれば、全く同じ状態の時にその方法を行なわなかった場合と比較して、初めて確認できるのです。 また良い方法と言っても、「良い」の評価には、秀(ベスト)優(ベター)良(グッド)などの差がありますし、成果にも、一時的な成果と持続的な成果、恒久的な成果とがあります。 判定をどの時点で行うのかによって評価が大きく変わることもあります。 時間の経過とともに右肩上がりに成果が表れるのでしたならそれほど問題はありませんが、多くの方法は、一次的に悪化してその後に効果が表れるものです。 また生半可な知識や経験で行うことにより、優れた方法が好ましくない方法と評価を受けることも多くあります。 その典型的なものが「罰」です。 事前になされている器具の消毒を見ていなかった人が、ナイフを使って外科的処置を真似て行なうようなものであり、また、整形外科で痛み止めが処方される場合、胃を保護する薬も併せて処方されますが、これを知らずに自己判断で痛み止めだけを飲んで、胃を痛めてから、あの痛み止めは薬ではなく毒だと文句を言うようなものです。 |
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