本能的恐怖と体験的恐怖と知識的恐怖
多くの人が、人の手を怖がる犬を見ると小さな時に虐待された、体罰で教えられたと、決まって言い出しますが、これは本当なのでしょうか。
知識的恐怖
あなたは、誰かに突然に拳銃を突きつけられたら怖いですか?おそらくその時の状況次第でしょう。
本物だと思わないような状況においては恐怖を感じないと思います。逆に本物だと思うような状況であれば、
オモチャであっても怖いことでしょう。 それでは、犬や馬に拳銃を突きつけたら怖がるでしょうか?
実際に試したことがないので推測ですが、拳銃を突きつけて怖がる犬は、ほとんどいないと思います。
しかしながら、銃声を怖がる犬は結構います。
体験的恐怖
一般的にはハンドシャイと呼びますが、眼の前で振り上げられた手を怖がる犬がいます。
人間の子供でも同様の反応が見られます。
では、殴られたことのない子は、殴るそぶりを見せても怖がらないのでしょうか?
「叩いてはいけない」と教わって、叩く真似だけをする人もいます。
たしかに物理的な力は一切加えていないのですから、暴力をふるったわけでもないし痛みも与えていません。
しかし、痛みと怖さは必ずしも一致しません。痛い経験をしていなくても怖がることはたくさんあります。
叩く真似を怖がらない犬については、何の効果もないのですから論外として、はたして叩きさえしなければ、
怖がらせることには問題ないのでしょうか。
痛みを与えることがいけないのか、恐怖心を与えることがいけないのかさえも考えていないのでしょう。
叩く真似をすることによって、犬を精神的な恐怖に追い込んでも、暴力をふるっていないから人道的だとでも
いうのでしょうか。 罰の弊害としてあげられる、回避行動が生じる点は同じどころか、かえって時間を与える分、回避行動や反撃を起こしやすくなると言えましょう。
さらに言えば、終了のタイミングが難しくなります。挙げた手を、いつ降ろすのかということです。
このタイミングを誤れば、犬に対して人間が逃げたと思わせてしまうことにもなります。
動物の調教における代表である鞭についても、少し考えてみましょう。
イルカの調教方法を引き合いに出して、サーカスの動物の調教方法を非難している論評がありました。
鞭の使用が、凶暴性の抑圧に有効であるか否かは別として、鞭の使用目的が力による凶暴性の抑圧であるならば、使用対象である動物に凶暴性が無いイルカの調教方法を引き合いに出すことが無意味です。
同じに鞭を用いるといっても、恐怖心を植え付けることを目的に使われる「トラの調教」の鞭。
合図、煽る、鼓舞する、刺激としての「馬の調教」の鞭と、
攻撃性を引き出すためや興奮を高めるための「警備犬の訓練」の鞭といった具合に色々なのです。
このように鞭一つにしても、こうした、それぞれの目的や役割の違いも考慮せずに、簡単にすべてを同列に
その是非を判定できないことがお分かりいただけるでしょう。 |