もちろん程度を越えて叱ることや、愛情がないままに叱るだけの場合には、大きな問題を惹き起こします。
だからといって、叱る事が全てにいけないという発想は、健全な成長を大いに阻害するものです。
・いけないことだと思っている
・周囲の人によく思われない
・やってみたけど、うまくいかなかった
なぜ叱らないトレーニングがもてはやされるのでしょうか。
それは、犬のしぐさや表情、あるいは行動といった、表面的なことしか見ることのできない人たちが、
犬のトレーニングの分野に、ビジネスとして参入してきた結果です。
「叱る」という教育の王道を、禁じ手とすることで発生するビジネスがあります。
・相手とそれほど深いかかわりを持ちません。
・叱るだけの熱意も愛情も持っていません。
・手間暇やリスクを考慮したとき採算に合いません。
・愛犬を好き好んで叱る人はいませんから、愛犬家受けしません。
・叱る技術を習っていないから、上手に叱ることができません。
ところが悲しいかな、叱ることのできない人は、実は、褒めることさえもじょうずにできませんから、
感情のやり取りの出来ない相手に対しては、物でのやり取りをするしかないのです。
叱ることを否定して、食べ物を使って教える人は、「飴と鞭」の語をとらえて、「飴」の反対は「鞭」ではない。「飴をあげる」の反対は「飴をあげない」ことだといいます。(これは、反対と否定を混同しての意見ではあります)
この意見は、訓練を進める上で、大変有意義な面もありますが、反面、「あげない」という行為が罰にもなるし、「欲しい」気持ちを強化していく刺激となり、飴に対する欲ばかりを強めていくことにもなる事になるのです。
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